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発信箱

手話と戦争=二木一夫

 戦時中、高射砲弾の信管を造る軍需工場が兵庫県尼崎市にあった。今はない尼崎精工という会社で2000人近くが働き、その中に100人を超える聴覚障害者がいた。

 1940年にぜいたく禁止令が出され、京都で着物の染色をしていた聴覚障害者が仕事を失う。その人たちを採用したのが始まりという。

 多くの聴覚障害者をその後も雇ってもらおうと彼らは人一倍働いた。グループ別の生産競争で優勝し、相撲大会でも活躍した。身を寄せ合って生き抜くため工場内に自治組織も結成している。

 これらの事実は、社会福祉法人理事長を務める洲本市の大矢暹(すすむ)さん(69)が当時の工員たちに聞き取り、資料を読み込んで突き止めた。元工員からは「私の造った爆弾はたくさんの人を殺した」という証言も得た。国家総動員体制に組み入れられた聴覚障害者のつらい言葉だ。

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