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岡崎 武志・評『i(アイ)』『阪神タイガース 1965-1978』ほか

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今週の新刊

◆『i(アイ)』西加奈子・著(ポプラ社/税抜き1500円)

  西加奈子の新作長編『i(アイ)』は、現代に小説を書くことの意味を問う力作だ。ヒロインのワイルド曽田アイは、シリア生まれで、養子となり日米の両親に大切に育てられた。

 高校の数学の授業で、教師が「この世界にアイは存在しません」と発言。虚数「i」の話だが、以後、ヒロインはこの言葉に縛られて生きる。ニューヨークで少女時代を送り、複雑な血の家族を持つ「アイ」は、さまざまな人種と社会を目にしてきた。それはひどく残酷で、矛盾を抱えた現実だ。

 紛争やテロ、災害で作られる大量の死者。「生き残ってしまった」罪悪感を抱えるアイは、平穏な日々に息を潜めながら、世界と向き合うのだ。そして大学4年の時、あの東日本大震災と原発事故が起きた。アイはその揺れを「私のからだに起こったことだ」と思う。

 「この世界にアイは存在する」と認識するまで、力強く生き続けるアイを通して、著者は「想うこと」の大切さを訴える。

◆『阪神タイガース 1965-1978』中川右介・著(角川新書/税抜き880円)

 あれほど熱心に応援し続けた贔屓(ひいき)チームに、昔ほど熱狂することはなくなった。中川右介『阪神タイガース 1965-1978』を読んで、やっぱりそうなんだよなあ、と納得させられたのである。

 阪神タイガースは1935年の創立。80年以上の歴史を持つが、ここではタイトルにある十数年に的を絞る。じつはこの期間、巨人V9と重なり、一度も優勝していない。そんな低迷期が、私を含め、なぜこんなにも懐かしく、心を揺さぶるのか。

 1500奪三振は長嶋からと宣言し、満身創痍(そうい)にムチ打った村山実。江夏豊は、奪三振のシーズン記録354を王から獲(と)るため、8人のバッターを打たせてアウトにして、念願を達成。獲られた王は、「むしろスカッとした。彼はいつも全力だから」と、試合後にコメントをした。

 ここには今のプロ野球が失った、意地をかけての真剣勝負がある。優勝することよりも、野球には大事なことがあるのだ。

◆『東京エレジー』太田和彦・著(集英社/税抜き1500円)

 「居酒屋の達人」として著書多数の太田和彦だが、『東京エレジー』はちょっと違う。田端、浅草、銀座、新宿、麻布、下北沢と四季折々に居酒屋を探訪しながら、同時にその町における青春の記憶を甦(よみがえ)らせる。阿佐ケ谷では、飲み屋街「スターロード」を紹介しつつ、名画座「ラピュタ」で見た古い日本映画の味わいどころをじっくり伝える。そして、上京したが大学へ行かず、下宿でクラシックを聴く寂寥(せきりょう)の若き日を回想するのだ。古き東京の姿があちこちに顔を出すエッセー集。

◆『ブロンテ三姉妹の抽斗(ひきだし)』デボラ・ラッツ/著(柏書房/税抜き2600円)

 デボラ・ラッツ(松尾恭子訳)『ブロンテ三姉妹の抽斗(ひきだし)』は、ページを開くのが楽しい一冊。『ジェーン・エア』を書いたシャーロット、『嵐が丘』のエミリー、そして『アグネス・グレイ』のアン。1800年代ヴィクトリア朝時代のイギリスに育った三姉妹は、揃(そろ)って作家となるが、彼女たちを見つめ続けたのが、使い込まれた小さな机。その抽斗には、裁縫箱、豆本、犬の首輪などが詰まっていた。荒野が広がる自然とともに、あの名作たちが、いかに生み出されたかがわかる。

◆『アリゾナ無宿』逢坂剛・著(中公文庫/税抜き740円)

 西部劇ファンとして知られる逢坂剛が、その愛着をいかんなく小説で発揮したのが『アリゾナ無宿』だ。南北戦争終結後のアメリカ西部。ゲリラに両親を殺されたカウガールの少女ジェニファは、凄腕(すごうで)の賞金稼ぎストーン、謎の剣の達人サグワロ(東洋人)とチームを組み、お尋ね者を追う旅へ出る。これが前半。鼻っ柱の強い少女、孤高のガンマン、記憶を失ったサムライ。この異色トリオの道中を、西部劇のお約束を見せながら描く。同じシリーズの『逆襲の地平線』も同時発売。

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岡崎武志(おかざき・たけし)

 1957年、大阪府生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。主な著書に『上京する文學』『読書の腕前』など

<サンデー毎日 2017年2月19日号より>

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