明治になり天皇やお公家さんが東京に引っ越してしまい沈滞感が漂う京都を復活させる大事業が琵琶湖疏水の開削だった。大津から京都まで11・1キロ(第1疏水)に運河を掘り水運を盛んにする。水力発電もいち早く導入し、1895年には日本で初めてチンチン電車を走らせた。古都は近代都市へと姿を変えてゆく。
工事を任された田辺朔郎(さくろう)技師は工部大学校(現東大工学部)を卒業したばかりの21歳。前例のない大工事は困難を極めたが、約5年がかりで成し遂げた。レンガも自前で作り、夜は技術者の養成に当たった。いくら優秀でも、今の20代では考えられまい。責任と立場が人間を育てた…
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