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華恵の本と私の物語

/7 ないた

 渋谷駅改札しぶやえきかいさつ約束やくそく時間じかんはとうにぎている。でも、さっきメールをったら「ごめん、てた。おそくなっちゃいそう」と返事へんじたから、とにかくかれるまでつ。

     携帯けいたいった。

    今日きょう本当ほんとうにごめん。作業さぎょうしていて。またちゃって』

    全然大丈夫ぜんぜんだいじょうぶってるから。あとどれくらい?』

     ゆびがかじかんで、はやてない。

    『え、まだいたの?』

     まだいたの、って……。わたしがかえったとおもっていたの?

     時計とけいると、約束やくそく時間じかんから、二時間以上じかんいじょうぎていた。でも、こんなにったのだから、やっぱりつ。いたい。

     それから、さらに一時間じかん

    「いやーほんと、ごめん」

     改札口かいさつぐちではなく、背中せなかほうからかれこえがした。くと、あきれたようにわらっている。

    「なん……なん……」

     なんでわらえるの、といたいのに、くちうごかない。こぶしげて一歩踏いっぽふす。ひざがふらつく。ちからはいらない。右腕みぎうでからだまえにだらりとれた。

    「ちょっと、だいじょうぶ?」

     かれ苦笑にがわらいして、わたしをささえた。おこりたい。きたい。なのに、のどれて、なみだてこない。わたしはかれうではらうので精一杯せいいっぱいだった。

    +  +  +  +  +

     『ないた』を最近読さいきんよんで、あのときのことをおもしました。たされて、つらかったのに、かれまえなみだなかったのは、不思議ふしぎです。『ないた』のなかで、「ぼく」がいろんな場面ばめんきます。最後さいごには、「ぼくも おとなになったら なかなくなるんだろうか」といます。

     わたしは、といえば、あのあとも、やっぱりかれたされることがありました。そして、一度いちどだけ、っているあいだいたことがありました。

     ちすぎてあたまがぼうっとしていたとき大学だいがく友人ゆうじんから電話でんわがかかってきたのです。「いまなにしてんの?」というこえみみはいると、きゅう現実げんじつもどされたがしました。夕日ゆうひのまぶしさも、人混ひとごみの騒々そうぞうしさも、喫煙所きつえんじょからにおうタバコのにおいも、くっきりかびがってきました。そして、からだっていることも、ずっとたされている状況じょうきょうも、はっきりとわかりました。「ごはんべた?」とわれるのと同時どうじに、わたしは電話口でんわぐちしていました。

     もうつのはやめよう。やっとそうおもえました。かれも、わたしにっていてほしかったわけじゃないことは、こころのどこかではわかっていたのです。

     人前ひとまえでは、我慢がまんしなければならないことがおおいけど。お風呂ふろなかでも、ふとんのなかでも、あるいは大切たいせつ友人ゆうじんまえだけでもいいから。

     なみだをたくさんながせる場所ばしょがあるのは、しあわせなことだと、いまは、おもいます。


     エッセイストの華恵はなえさんが、ほんにまつわるおもきなほん紹介しょうかいします

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