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ナンダ・コート

1936 初登頂の軌跡/1 ヒマラヤの扉開く 立大隊の精鋭6人

ナンダ・コート頂上で登頂成功を喜ぶ堀田(左端手前)ら立大山岳部の隊員ら

 陽光に輝く雪上から視界を遮るものはなかった。1936(昭和11)年10月5日午後2時55分。立教大山岳部遠征隊の6人がインドの未踏峰、ナンダ・コート(6867メートル)の頂上に立った。遠征隊長を務めた堀田弥一(1909~2011)は当時27歳。「闘い抜いた感激。そして、使い切った心身の疲労を自らねぎらった。吹き狂う氷雪の山頂で」と手記につづった。 富山県石田村(現黒部市)出身の堀田は立山連峰を望んで育ち、雪山やスキーに親しんだ。27年、旧制魚津中(現魚津高)から立大に進んだが、当時山岳部は夏山ハイキングを楽しむ程度。京都大、慶応大といった大学山岳界の旗手から水をあけられていた。堀田は卓越したリーダーシップで部の体質転換に着手。立山や後立山連峰など厳冬期の北アルプスに足しげく通い技量を磨いた。

 ドイツ人登山家の記録を翻訳し読み進めるなど、地道な研さんの日々がヒマラヤに結実する。照準を定めたのは当時英国の支配下にあったインドのナンダ・コート。ネパールやチベットが鎖国状態だったためだ。堀田と親交があった富山県立山博物館の吉井亮一主任専門員(61)は「国内情勢は厳しさを増していた。ヒマラヤへの扉が開いた、その一瞬を捉え周回遅れからトップに躍り出たのが立大山岳部」と指摘する。

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