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東日本大震災6年:古里思い 今ここで

東日本大震災6年 古里思い 今ここで

 東日本大震災と福島第1原発事故によって、幾多の人々が居場所を奪われ、見知らぬ町への避難や住み慣れない仮設住宅への入居などを余儀なくされた。あれから6年。たどり着いた「現在地」はさまざまだ。新天地での生活を軌道に乗せている人、地元にとどまって再起を目指す人、今も自分の居場所を見つけきれず迷い悩む人ーー。うつろいゆく古里を思い続け、それぞれの場所で、それぞれの今日を生きている。

     

    理容室を再開

     昨年6月に全村避難が解除された福島県葛尾村で、松本貢一さん(47)は祖母の代から続く理容店を週2日限定で再開した。避難先の同県郡山市に子供の学校生活を考えて新居を構え、店には一人で通う。帰還率の低い村での経営は厳しいが「生まれ育った村が理屈抜きで好きだから」と営業を続ける=喜屋武真之介撮影

     

    歌で伝えたい

     群馬県太田市のコミュニティFM「エフエム太郎」に出演する牛来(ごらい)美佳さん(31)。原発事故で福島県浪江町から長女(11)と避難し、震災2カ月後から居住。「福島のことを伝えたい」と音楽活動を始め、ラジオにも出演。5年以上の間に人付き合いも広がり、かつてはよそよそしく見えた町も今では「自分たちを見守ってくれる場所」だと感じる=小川昌宏撮影

     

    未練と諦めと

     いとおしそうに自作の食器を手に取る小峰和子さん(69)。「相馬焼」の窯元だった福島県浪江町の自宅が帰還困難区域になり、避難先の宇都宮市で一昨年に新居を建てて長男家族と暮らす。一つ一つの器にまつわる震災前の出来事を思い出し「以前の暮らしは諦めたつもりだったけど、やはり未練は残る」とつぶやいた=猪飼健史撮影

     

    大切な人思い

     しんきゅう師の加藤大助さん(46)=中央=は原発事故直後に知人を頼って福島県南相馬市から大阪市に一家で避難。震災1年後には治療院を開業し、3人の子供が関西弁を流ちょうに話すほど大阪になじんだ。一方で両親が残る南相馬市にも15年春から毎月1週間、診療に通う。どちらにも大切な人が暮らす二つの町の間で、思いは今も揺れている=小川昌宏撮影

     

    再建を夢見て

     宮城県石巻市の中心部に屋台の日本料理店を昨年7月に開いた木下智也さん(28)。津波で母恵美さん(当時46歳)が行方不明になり、同市長面地区の実家の旅館も失った。東京で仕事の誘いもあったが、石巻にとどまっての再起を決意。旅館「松原(まつばら)荘」の再建を目指して名付けたバル形式の店「松ばる」の厨房に立つ=佐々木順一撮影

     

    相棒と一緒に

     両親が津波で行方不明になった岩手県大槌町に東京から戻り、災害救助犬を育成する佐々木光義さん(48)。仮設店舗でそば店を営む傍ら、飼い始めたゴールデンレトリバー「ゆき」を訓練し、昨年は同県岩泉町の台風被災地で不明者捜索に加わった。「いつか人を救いたい」。まだ見つからぬ両親への思いが佐々木さんを突き動かす=喜屋武真之介撮影

     

    この味と共に

     昨年7月に原発事故による避難指示が解除された福島県南相馬市小高区でラーメン店「双葉食堂」を再開させた豊田英子さん(67)。戻ることに不安もあったが「ここは家族でがんばってきた場所だから」と帰郷を決めた。「小高の味」を求めてにぎわう店内を見つめ「心からここで再開してよかった」とほほ笑んだ=佐々木順一撮影