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旅するように生きてみたら~人生折り返し地点の選択~

第21回(最終回) 「旅するように生きて、得られたこと、失ったこと」

 私はいま、台湾の高雄にいる。数カ月前に台湾を仕事で訪ね、「また近いうちに戻ってくるだろう」と、なんとなくは思っていたが、実現するのは案外、早かった。

     台湾人の友人夫婦が、長期旅行で1カ月、自宅マンションを空けるというので、現在、そこを借りて住んでいる。かつて一緒に暮らしたこともある夫婦で、「勝手知ったる他人の家」とはこのこと。地域の生活環境もよくわかっていて、コミュニケーションが不十分な海外とはいえ、買い物や飲食、交通で困ることはあまりない。先日は、漢方とはり治療のために、通訳をしてくれる友人を伴ってクリニックに行ったのだが、そこに偶然、日本語のできるスタッフがいたため、それからは一人で通えるようになった。

     私には、国内外に「家、使ってもいいよ」と言ってくれる、すばらしく気のいい友人が何人かいて、おかげであちこちを旅するように生きてこられた、ということもある。

    最初に上京して、お金も住むところもなかったときは、旅で知り合ったご婦人から「一軒家があるから、使っていいよ」と言われて数年間、タダで住まわせてもらっていた。ほかにも、書斎代わりに使わせてもらっている友人のマンション、友人の長期留守中に猫ちゃんのお世話で滞在するマンションもある。

    人さまのご好意に甘えてばかりでもいけないと思うが、30代40代で、「ならば、ここで暮らしてみようではないか」と、パソコンを抱えて身軽に滞在できたのは、執筆するのに、たいへん幸運なことであった。

    港町、高雄にふたたび、やってきた。格安航空券でシーズンオフなら片道1万円台で来られてしまう。

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     今回もパソコンを抱えてやってきた。日中は大抵、仕事をし、夜は、台湾人、日本人の友人となんとなく会って、ゴハンを食べ、おしゃべりをし、げらげらと笑い転げていることが多い。

    よく「旅に出ると、解放された気分になる」というが、台湾での暮らしは、いつもどこか解放されている。 “異邦人”であることもその理由だが、おそらく、この土地では「~でなければいけない」といった縛りが薄いのだ。だれもが、各々正直に生きている。というか、言いたいことを言って正直さを保とうとしなければ、まわりに巻き込まれて、とんでもない事態になってしまう、ということもある。

    日本では、社会全体がぼんやりした「~でなければいけない」の“呪縛”に包まれているものだが、「“素の自分”をさらせる相手がいること」「話を聞いてもらう相手がいること」に救われることもある。「解放される人、場所をもっておく」というのは、これからの時代を生きるリスクヘッジであろう。自分を解放できなければ、ほんとうの心地よさ、幸せにはたどりつけないのだ。……とは、台湾鍋をわいわいとつつきながら、しみじみ思うことである。

     そして、台湾で毎度のことながら刺激を受けるのは、友人たちのたくましく生き抜く姿だ。

     ある友人は、5年後、10年後を見据えて気功を学んでいるし、和菓子を作っている友人は、つぎの展開のために、これから日本の有名料理学校の通信講座で本格的に学ぶという。

     台湾人男性と結婚した友人は、持ち前の料理の腕と、芸術のセンスを生かして、自分で設計したレストランを開いた。日本の蔵屋敷のようなイメージの店舗は、すばらしくおしゃれで、予約がなかなかとれないほどの人気店になったが、そこにはとどまらず、すでに新しいビジネスを考えている。みんな、40代50代の日本女性である。

     海外で生きている彼女たちは、「いまやっていることが、そのまま続くわけがない」とつねに思っていて、5年後、10年後……と、新たなステージにおいて仕事を生み出すための投資をいまから始めている。

    「私はここで生きていきたい。だから、その方法を見つける」という覚悟は、地に足がついていて、ほんとうに頭が下がる。これもひとつの「旅するような生き方」なんだと思う。

    今回、ハマってしまった果物、バイナップルと釈迦頭と掛け合わせた、パイナップル釈迦頭。酸味があって、とろりとした甘さがたまらない。

     さて、今回は最終回。最後に「旅するように生きて得られたこと、失ったこと」を書いてみたい。

     現在の私がなにをもっているかというと、目に見えて価値あるものは、ほとんどなにももっていない。財産と呼べるようなものはないし、質屋に持ち込めるような高価なブランド品も宝飾品もない。自分の家族はつくらず、会社や組織にも属していない。自分でもほとほとあきれるほど、持たない暮らしをしてきた。強く立派な意志があったわけではなく、なんとなく自由であるための選択をしてきた。

     いや、こんなことを書くのは、たいへん恥ずかしく、はばかられることであるが、40代以降、私の生活の中心は、いつも「本を書くこと」で、ほかのことは正直、それほど「欲しい」とは思わなかったのだ。

     ただ、小中規模のことでいえば、やりたいことはやった。会いたいと思う人には、すぐさま会いに行き、行きたいところに行き、興味のあることはあれこれやってみた。恋愛もいくつかしたし、恋人や友人と一緒に住むこともした。都会でも田舎でも海外でも暮らした。そんなやりたいことをやった「時間」や「経験」はすべて目に見えない記憶として残り(その記憶さえもあやふやだったりするが)、「やるだけやって気が済んだ」という満足以外は残っていない。が、それでいいのだ。

    「ただ、やりたいことをやる」と、夢中になって動いている時間こそ、いちばん幸福な時間であり、自分のなかに生きるための“資産”をせっせと積み重ねる時間だったとは、あとになって思うことである。仕事のスキルや、信頼できる人間関係といったハッキリした“資産”だけでなく、自分で自分を信じるための〝資産〟というべきか……。

     手に入れてこなかったものは、ほかにもたくさんある。長年にわたって同じ場所で働いたり、何十年も夫婦仲がよかったり、子どもや孫など家族とわいわい過ごしていたりして、留まることで深い愛情や信頼を重ねている人を見ると、うらやましいとは思わないが、「私にはないものだ」とは思う。こころからすばらしいと尊敬する。

    人と比べることがなくなったのは、自分には自分の大切なものがあって、やりたいことをやっている、という実感がもてるようになったからかもしれない。

    「自由=幸せ」というわけではない。反対に、守られていることが、幸せなわけでもない。それぞれ「こんなふうにしか生きられない」というものがあるもので、大切なのは、自分で選んだ道を、笑顔で進めているかということなんだろう。

     私にとって「旅をするように生きる」ということは、場所のことだけでなく、自分の欲しいものを求めて、生きたいように生きること、つまり“主体的”に考えて動くことだった。

     若い時分……いや、30代になってからも、私は、どうしようもなく自分というものがなくて、人に振り回されてばかりいた。なにが欲しいのか自分でもわからず、「みんなが欲しいもの」が欲しかった。仕事、恋愛、着るもの、持ちものまで、なんとなく、まわりに合せた選択をして、いつもしっくりこない状態で、失敗も挫折もたくさんした。

     当時は、自分のなかに闘う武器も、自信もなかったこともあるが、まわりの空気に迎合することや、人の期待に応えようとすることでしか、自分を表現できなかったのだ。

     仕事では、会社の期待にひたすら応えることが、自分を最大に生かす道だと思っていた。

     多くの人は、だれに命令されているわけでもないのに、「~でなければいけない」と、必死でなにかに合わせようとして、なんとなく奪われてきたことがあるんじゃないかと思う。

     たとえば、女性なら、仕事を優先すれば、プライベートを犠牲にすることは多かれ少なかれあるものだ。現在の未婚化、晩婚化、少子化を考えると、その影響はないとはいえないだろう。いざ子どもを持とうとしたときに、高齢でそれがかなわなくなっていることも少なくない。

    習慣やルール、そして自己責任という名のもとに、時間をかけて流されるように失ってきたことだから、奪われていることにさえ、気づかないのだ。

    一方、家庭を優先すれば、仕事での経済的な自立や、自己実現のチャンスを失うこともある。仕事をやめたものの、社会復帰がむずかしく、あとで手放したことを後悔することもあるかもしれない。

     つまり、要するに、どんなふうに生きても、なにかを得れば、なにかを失っている。逆に言うと、なにかを失っているときは、なにかを得ているときでもある。

    なんとなく奪われている、というのが、いちばん怖い。

     だから、「自分の欲しいものを、ちゃんとわかっておくこと」が大事なのである。

     ほとんどの場合、人はひとつの欲しいものだけではなく、いくつかのことを並行して追い求めているものだ。世代によって、欲しいものは変わってくるし、大切なものを手にいれたとき、それを守っていくことも必要になる。

    重要なのは、表面的なことではなく、自分の人生は、いま「なにを得ているのか」「なにを失っているのか」と、主体的な目で見ようとすること。「自分は本当のところ、どうしたいのか」「いまやっていることは、なんのためにやっているのか」「目的のためには、なにが必要なのか」……と、物事の本質を見る目が、これからの時代、ますます重要になってくるはずだ。

     さて、私の今後であるが、先のことはわからない。

    「先を見据えて、東京で中古マンションでも買いましょうかね」とこれまでにない選択をするかもしれないし、いきなり「海外で暮らします」「好きな人のいる地方に移住します」というドラマチックな展開があるかもしれない。

    とりあえず、暖かくなったら、東京の仕事部屋と鹿児島の「みんなげー(みんなの家)」に帰ろう。山あいの「みんなげー」には、極寒の間、遠ざかっていたが、早く近所のおばちゃん、おじちゃんたちと顔を見て話したい。庭には、そろそろ、ふきのとうの芽が出ているころだろうか。

     「先が決まっていない」という旅が、いまだ私には、いちばん心地いい。いい年をして覚悟がないといわれるかもしれないが、人生100年時代、先はだらだらと続く長い旅だ。そのとき、そのときの感覚を大切にして、変幻自在に生きていこうではないか。

     自分のなかに”資産”を蓄えた人生後半からの旅は、ますますおもしろくなるはずだと、私は思っている。

    ……ということで、約1年にわたって連載してきた「旅するように生きてみたら」も終わり。いつも読んでくださったみなさま、ありがとうございました。

    また、旅のどこかでお会いしましょう。

    有川真由美

    有川真由美(ありかわ・まゆみ)作家、写真家。鹿児島県姶良市出身。熊本県立熊本女子大学生活科学部生活環境学科卒業、台湾国立高雄第一科技大学応用日本語学科修士課程修了。 化粧品会社事務、塾講師、衣料品店店長、着物着付け講師、ブライダルコーディネーター、フリー情報誌編集者など、多くの職業経験を生かして、働く女性へのアドバイスをまとめた書籍を刊行。46カ国を旅し、旅エッセイも手掛ける。著書はベストセラー「感情の整理ができる女(ひと)は、うまくいく」「30歳から伸びる女(ひと)、30歳で止まる女(ひと)」「仕事ができて、なぜかうまくいく人の習慣」(PHP研究所)他、「感情に振りまわされない―働く女(ひと)のお金のルール」「人にも時代にも振りまわされない―働く女(ひと)のルール」(きずな出版)、「好かれる女性リーダーになるための五十条」(集英社)、「遠回りがいちばん遠くまで行ける」(幻冬舎)など多数。韓国、中国、台湾でも翻訳される。内閣官房すべての女性が輝く社会づくり推進室「暮しの質」向上検討会委員(2014-2015)。日本ペンクラブ会員。

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