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長崎市 被爆者 井原東洋一(とよかず)さん(82)
最初に出会ったのは、私が福島県を訪れた2012年の秋でしたね。原発事故で放射線による被害を受けた相馬、双葉両地域の住民でつくる「原発事故被害者相双の会」会長を務める国分富夫さん(72)は南相馬市小高区の自宅を離れ、避難生活を強いられる厳しい日々を語ってくれました。その様子から「苦しいけれど頑張ろう」との思いが伝わりました。
その後も福島はたびたび訪れ、見聞きしています。現地の状況が改善されたとは思えません。政府が避難指示を次々解除して帰還を促すのは早急すぎるのではと怒りがわきます。避難した人たちは周囲から「賠償金をもらっているんでしょう」と言われることもあるようです。戦後の長崎でも被爆者は「医療費がただになっていいね」と言われたりしてきました。福島にかつての長崎が重なります。原爆に遭った私たちには、つらさがよく分か…
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