「冨田さんが帰って来て七本鎗(しちほんやり)が変わった」。県内の酒造・酒販業界関係者は口をそろえる。全国に名を知られた銘酒だが、大きな変化は2002年に専務の冨田泰伸さん(42)が蔵へ戻ったのが契機、というのが共通認識なのだ。「酒造りも販売方法も変えていかなければと思っていた」と冨田さん。その改革の精神に妥協はない。
蒸し米の湯気がもうもうと上がる様子を見て育った。おぼろげながら「将来は自分がやるのかな」と思っていたが、勉強したことはなかった。ただ、京都産業大経営学部を卒業後に入社した総合バイオメーカーの協和発酵工業(現協和発酵キリン、本社・東京)では強く希望し、一般職150人のうち4人しか選ばれない酒類の担当になった。
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