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<メディアの戦後史>佐藤栄作首相の退陣会見 新聞嫌い、記者に「出ろ」

佐藤栄作首相の退陣表明と記者がいない会見の様子を報じた毎日新聞1972年6月17日夕刊(東京本社最終版)

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 沖縄の本土復帰から1カ月後の1972年6月17日土曜日。佐藤栄作首相が7年8カ月の長期政権の退陣を発表し、首相官邸で記者会見に臨んだ。

 「テレビカメラはどこかね」。会見場にびっしりと顔を並べた新聞記者たちを前に首相はけげんそうな顔をした。「新聞記者の諸君とは話をしないことになっていたんだ。ぼくは国民に直接話をしたいんだ。新聞になると違うんだ。偏向的な新聞が大嫌いなんだ。帰ってください」。首相は話が違うといわんばかりにそう言うなり、引っ込んでしまった。

 竹下登官房長官の取りなしで首相は会見場に戻ってきた。「そこで国民の皆さんにきょう……」。言いかけると、前列の記者が声をかけた。「総理、それより前に……。先ほどの新聞批判を内閣記者会として絶対に許せない」

 「出てください。構わないですよ」。間髪を入れずに首相はテーブルを右手でたたき、大きな音が立った。「それでは出ましょう」。記者は応じた。一瞬置いて別の記者が「出よう、出よう」と呼応した。ぞろぞろと席を立っていく記者を首相は目を見開いてにらみつけた。

 空っぽの会見場で「政界の団十郎」の最後の独り舞台が始まった。NHKのテレビカメラとそのクルーを相手に首相は実績を誇るように演説した。

 夕刊最終版の締め切り間際の出来事だったが、毎日新聞は1面、2面、3面、社会面と記事を展開した。「佐藤政治に終始にじんでいた“暗さ”が最後に吹き出した」(1面)。批判記事が、新聞各紙で数日にわたって続いた。

 佐藤首相のその日の日記はそっけない。「テレビ会見に関して新聞社の諸君が抗議するが、とも角テレビ会見を終って国民に告ぐをおくる」

 楠田実・首相秘書官の日記を読むと、首相の行動は予定通りだったようにも見える。前日16日の日記には、こんな首相の言葉がある。「記者会見はやりたくない。テレビを通じて国民に挨拶(あいさつ)をしよう。最後に俺のわがままを通させてくれ」

 沖縄返還など外交上の実績を高く掲げ、花道になるはずの通常国会では最終盤に野党から内閣不信任案を突きつけられた。否決して国会は閉幕したが、国鉄運賃値上げ法案など重要2法案が廃案になった。

 朝日新聞政治部記者だった堀越作治さん(87)によると、佐藤氏は私邸に日参する番記者に情報を出さないことを徹底していた。記者たちは私邸のあった東京都世田谷区淡島にちなんで「淡島に特ダネなし」とささやいたほどだという。自然と周辺の話や臆測が記事になることがあり、首相が新聞嫌いを強めていったとみる。

 記者たちの退席は正しかったか。銀座にあった本社の政治部デスク席近くにいた堀越さんはテレビに向かって「出るな」と叫んだことを覚えている。「粘ってぶち壊すべきだった。出てしまったので独演会を許してしまった。トランプ米大統領の会見だって、私ならぶち壊す」

 保利茂・自民党幹事長番記者だった岸井成格(しげただ)・毎日新聞特別編集委員(72)は会見場に居合わせた。「出て行けと言われても、じーっと座っている(記者がいる)。それで『出よう、出よう』と。若気の至りだった」。当時27歳。政治部記者になったばかり。「総理は国民に対する一方的な独演会をやりたかったんだろう」と振り返る。

 あれから45年。「首相会見は変わった。(記者たちは)嫌なことを直接聞かない。政権側の言い分をそのまま流すところもある」。岸井特別編集委員は記者と権力との関係を懸念する。「首相の記者会見は記者会と官邸のどちらが主催者なのだろうか。そのことをずっと考えている。決着はついていない」【青島顕】

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