文藝を生涯の仕事と意識し始めた高校生のころ、読んでいたのは月刊誌の「文學界」と「国文学」だった。この両誌が、私の将来に係るものとなった。「文學界」は後に編集に携わり、今日も続く作家、評論家との交わりは、作品を誌上に掲げたことに始まっている。
一方、「国文学」では恩師の暉峻(てるおか)康隆さんとの出会いがあった。毎号の目次に近世文学の編集顧問として名前があり、ときおり目にする文章は、含蓄があり、説得力があった。私はこの方に心の内を打ち明けてみたいと思った。小説を書くか、扱う編集の仕事をしたい、早稲田大学文学部国文学専修を志望している、と手紙に認(したた)め、書いた小説が載る文芸部誌を添え、編集部気付で差し出したのだった。
半月後、はがきが届いた。「小説を書くのなら、世の中のことを知る学部を進むのがいいでしょう」と書いてあった。
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