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近影遠影

高橋一清・あの日あの人/100止 松本三四郎 メキシコで百姓魂 /島根

 松本三四郎さんは、明治25(1892)年東京に生まれ、昭和54(1979)年メキシコで亡くなった。私は、晩年の10年間、親しく交わり口述をもとに自叙伝「メヒコで百年」を編述した。

     松本さんは、庭師として中南米に渡った父を連れ戻すため、17歳のとき日本を後にした。父は、江戸時代に大名屋敷の庭を築いたが、維新後の日本には腕を揮(ふる)う場はなく、中南米の金山や銀山の持ち主の庭を造っていた。

     メキシコで父とめぐり合ったが、借金があり、訴えられていて国外に出るわけにいかない。そのうち革命の騒動に巻き込まれた。働いて父の借りた金を返した。12年後、日本から妻を迎え、母も呼び寄せた。植木に加え花を売るようになって事業は拡大し、十幾つもの農園を経営した。

     メキシコ市郊外クエルナバカの農園の一角に、松本さんは住んでいた。ここではシンビジューム、バンダ、カトレアなど、9万鉢が栽培されていた。少し離れたクワウトラには、8万鉢を育てるカトレア専用の農園もあった。松本さんは水やりを日課にしていた。鉢物を扱う職人の間で、「水やり七年」といわれるほど経験のいる仕事なのだ。「水があうと花弁は大きく厚く、色艶も優れ、花もちもよくなります」。施すのは鶏糞(けいふん)、油かす、糠(ぬか)、骨粉など、有機肥料が最適である。「植物は食べ隠しをしない」と松本さんは言った。

     80歳になったとき、松本さんは米作りを始めた。ヒュテペックの農園に籾(もみ)を蒔(ま)いた。地名は原住民の言葉で「涼風」を意味する。言葉通り、風通しのいい土地であった。風は病虫害から稲を守った。二期作で、7月と10月に稲刈りをした。

     じつはこの米作りには、松本さんの望みがたくされていた。

     「花屋、植木屋で百年、三代続いた店を知りません。花作りは、泥まみれ、肥しまみれになる仕事です。この地道な仕事が根底にあるという考えが継承されないのです」

     一代で財を成したが、それはメキシコ市の人口増加にともない、農園が宅地として買い上げられたからであったという。

     「いっそ、初めから百姓になったらいい。これほど根強く、ゆるぎないものはない」

     メキシコで百年分を働いたという意味で、自叙伝に「メヒコで百年」と題をつけた。私は松本さんが話してくださったメキシコの寓話(ぐうわ)を最後に記した。この「近影遠影 あの日あの人」を終えるにあたり、それを書き添えたい。

     天国に行った男が、神様に豆を土産に差し出したところ、神様は、これではない、「手まめ足まめ持ってこい」とおっしゃった。

     松本さんの掌(てのひら)には、水やりのホースを手繰(たぐ)るうちにできた、大きな「手まめ」があった。最後に会った日、松本さんはそれを私に見せ、「天国で神様のお気に入りになれるでしょうか」と言った。<本編完結。次回、番外編を掲載します>


     ■人物略歴

    高橋一清

     1944年、益田市に生まれる。早稲田大卒業後、(株)文藝春秋に入社。各誌編集長を歴任し2005年3月に退社。同年4月から松江観光協会の観光文化プロデューサー。関わる「松江文学学校」と「湖都松江」の企画「山根基世・朗読の楽しみ」が、6月18日(日)午後1時半より、松江城・興雲閣で開催される。先着150人、入場無料。

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