ふるさと益田に帰るとき、いつもながら山陰線の車窓風景に旅情をそそられます。益田の海岸は、東は鎌手の岬から、西の山口県須佐の高山(こうやま)まで湾曲し、イタリアを旅したとき見たナポリ湾の景色がよみがえります。高山はさながらベスビオ山です。列車が、久城(くしろ)台地を走り抜けると、車窓から益田平野が望まれます。遠く青野山(あおのやま)、大道山(おおどうやま)、そしてなだらかな山々が高山へとつづきます。この景色を柿本人麿、雪舟等楊は目におさめ、あくことない眺めだから、ここを終(つい)の住処(すみか)としたのです。
私たち益田の子は、日本最高峰の歌人と画僧を、幼いころから「人麿さん」「雪舟さん」と親しみをこめて呼んでいます。
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