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連続企業爆破

大道寺死刑囚が病死 東京拘置所

大道寺将司死刑囚=1975年6月撮影

 法務省は24日、1974年に起きた三菱重工ビル爆破などの連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反や殺人などの罪で死刑が確定した「東アジア反日武装戦線」の大道寺将司死刑囚(68)が同日、多発性骨髄腫で収容先の東京拘置所で死亡したと発表した。87年に最高裁で死刑が確定していた。

 確定判決によると、大道寺死刑囚は71~75年、「海外侵略企業」などとして三菱重工や間組の本社ビルなどの連続企業爆破事件に関与。最も被害の大きかった三菱重工ビル爆破事件(74年8月)では8人が死亡、165人が重軽傷を負った。

 一連の企業爆破事件では同戦線のメンバーら8人が75年5月に逮捕された。うち三菱重工ビル爆破事件では大道寺死刑囚ら2人の死刑が確定。1人が逮捕後に服毒自殺し、3人が77年の日航機ハイジャック事件(ダッカ事件)などに伴う超法規的措置などで出国した。

 大道寺死刑囚は「使用した爆弾が人を死なせるほどの威力があったとは知らず、殺意はなかった」などとして再審を請求したが、最高裁は2008年に請求を退けた。

 再審開始決定を受けて釈放された袴田巌元被告(81)を除くと、確定死刑囚は127人となった。【鈴木一生】

死刑確定後、謝罪

 大道寺死刑囚は北海道釧路市生まれ。法政大で学生運動に身を投じた。法廷での陳述などによると、アイヌ差別への反感から反日思想を次第に強めたという。三菱重工ビル爆破事件でともに逮捕された妻あや子容疑者(68)はダッカ事件で日本赤軍メンバーからの要求で釈放され、出国。今も国際手配中だ。

 死刑確定後の1999年、公判の証人として東京拘置所で尋問を受け、「出すべきでない死傷者を出してしまった」「日本人を全て敵と見なし攻撃してしまったのは、反日思想の偏狭さからだった」と初めて謝罪した。

 拘置所では複数の句集も出版。死刑廃止を訴え、他の確定死刑囚の表現活動も支援してきた。2013年の支援者の会報に寄せた文章には「置かれている状況は苛酷ですが、表現すべき材料には事欠きません」とつづっていた。支援者によると、数年前から多発性骨髄腫のため、病状は一進一退だった。昨年12月の面会時も車いすに乗ったまま、終始苦しそうな様子を見せていたという。支援者は「事件への見方はさまざまだが、一つの時代の象徴だったと思う」と話した。【伊藤直孝、堀智行】

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