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/3 四条河原(江戸時代) 芸能育んだ“自由の地” /京都

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鴨川東岸で江戸時代初期から歌舞伎の劇場であり続ける南座。江戸幕府の河川改修が行われるまで、鴨川べりのこの辺りは河原だった=京都市東山区四条通大和大路西入中之町で、戸田栄撮影
鴨川東岸で江戸時代初期から歌舞伎の劇場であり続ける南座。江戸幕府の河川改修が行われるまで、鴨川べりのこの辺りは河原だった=京都市東山区四条通大和大路西入中之町で、戸田栄撮影

 近世へと移り変わる時代の中で、四条河原は大衆芸能が盛んに催される場所となり、歌舞伎の成立にも重要な役割を担った。今も鴨川の河原に造成された三条-四条間の鴨川両岸は、京都で最もにぎやかな繁華街となっているが、その流れを受けて発展し、現在へと続いている。

 芸能とはどういうものか、改めて考えてみたい。元京都市歴史資料館館長の山路興造氏は「昔は日常とは隔絶した別世界に、芸能世界が展開していました。夢の世界であるのか理想の世界であるのか、そこで心を遊ばせ、ストレスを発散させるものでした」と語る。

 働いて暮らしをたてていくのが日常だが、そんな毎日が耐え難くなるのも人間だろう。そこで、かつては祭りや盆正月などの日常から解放される時期が設けられた。一方、農村部などと異なり、人々が多様な生活形態のもとにあった大都会では、人々の欲求不満の解消に特定の時期を設けるだけでは対応できず、いつでも身を浸せる解放の空間が生じることになったという。それが江戸時代に入る頃には、常設の遊郭や芝居小屋となった。

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