島根県の山あいの町で生まれました。5人兄妹の4番目。医師の父はとてもセンスが良い人で、母の着物や子供たちの服は、東京のデパートからカタログを取り寄せて注文していた。手先が器用で、日曜大工や庭いじりが趣味。母も和裁や編み物が得意だったので、そうした血を受け継いだのかもしれません。
教育熱心な父は、兄2人が東京の大学と高校に進学したのを機に、東京・西荻窪にも家を建てました。自分だけ島根に残って。5人全員を医者にするつもりだったが、私は反抗した。父の元に来る患者さんは、痛そうだったり苦しそうだったり、つらい仕事だと子供心に思ったんです。反対する父を母がなだめ、東京女子大に進みました。
15歳の時、太平洋戦争が始まった。戦況が厳しくなり、家族が島根に帰っても、私は大学に残りました。昼間は勤労奉仕に駆り出されて工場で働き、毎夜空襲のサイレンが鳴った。防空壕(ごう)の中では、敵である米国の小説「風と共に去りぬ」を読みふけっていた。どんな状況でも、人間は夢がほしいのです。
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