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「鉄の暴風」が吹き荒れた沖縄戦から77年。約3カ月に及んだ地上戦は住民を巻き込み、日米合わせて計約20万人が犠牲となった。

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元陸軍兵士 問い続ける地上戦の意味

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沖縄戦で日本兵がガマから住民を追い立てるのを何度も見たと話す木本勇さん=大津市で2017年6月20日、高田房二郎撮影
沖縄戦で日本兵がガマから住民を追い立てるのを何度も見たと話す木本勇さん=大津市で2017年6月20日、高田房二郎撮影

 72年前の沖縄戦で、沖縄守備軍司令部に勤務した元陸軍兵士、木本勇さん(95)=大津市=は、犠牲となった約20万人のうち半数近くが住民だった地上戦の意味を胸に問い続けている。

 1944年、滋賀県職員だった木本さんは2度目の召集を受け、陸軍第62師団に配属され8月沖縄へ渡った。米軍の上陸に備え道路造りなどに従事した後、行政経験を買われ軍司令部に派遣された。

 45年4月、米軍が沖縄本島に上陸。鉄の暴風と呼ばれた激しい攻勢で、物量の差は歴然だった。ある晩、沖合の米艦隊に向かう日本軍機2機を首里の司令部から見た。砲撃を受け両機は火だるまで落下した。近くにいた牛島満司令官の口から「あぁ」と声が漏れたのを覚えている。

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