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役人としての基盤を築いた
1993年6月、2年間の内閣官房副長官秘書官の任期の最後に、宮沢喜一内閣の内閣不信任案可決、衆議院解散という事態を目の当たりにして、翌7月に官邸から主計局農林水産係主査に戻りました。大蔵省(現財務省)で私が初めて就いた課長補佐の仕事です。担当は米政策。すぐに生産者米価決定の仕事が待っていました。当時は42年に制定された食糧管理法の下、米は国による全量管理を前提に厳格な流通規制が行われていました。
しかし、社会情勢や食生活が大きく変わっている中、戦前からの制度は過剰在庫や生産調整など大きなほころびが出ていました。それが決定的に顕在化したのが、その年の大冷害による戦後最大の不作です。米不足から農水省はタイ、中国などから米を緊急輸入しますが、結果的にはタイ米などは大量に余ってしまいます。翌94年にはガット・ウルグアイラウンド農業合意が妥結され、米の段階的な輸入解禁が決まりました。
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