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わが町にも歴史あり・知られざる大阪

人知れず建つ碑や地名などをよすがに、今につながる大阪の知られざる歴史を掘り起こします。

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/473 狂歌塚 /大阪

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門前の狂歌塚を指す本長寺の瀬川住職=大阪市中央区谷町8で、松井宏員撮影
門前の狂歌塚を指す本長寺の瀬川住職=大阪市中央区谷町8で、松井宏員撮影

 ◆環状線・玉造

本長寺 芸能や文芸と縁 万博で道路拡幅、光景一変

 前回、詩人の薄田泣菫が寄宿していたと紹介した本長寺(中央区谷町8)の瀬川和久住職(67)から電話をいただいた。「来歴が不明の碑がありまして」。早速うかがった。

 谷町筋の西にある日蓮宗のお寺で、今年、創建400年を迎えた古刹(こさつ)だ。幕末に焼失するが、明治初めに再建。ところが1970年の大阪万博のために、わずか数メートルの幅しかなかった谷町筋を40メートルに拡幅して、光景は一変した。道路を西へと広げたため、谷町筋の西側のお寺は軒並み敷地を削られ、建て替えや移転を余儀なくされた。だから、東側のお寺は昔ながらの土塀だが、本長寺をはじめ西側のお寺はコンクリート造りなのだ。

 くだんの碑は本長寺の門前に建っている。人の背丈ほどもある石には「柳鬼軒狂歌塚」と刻まれている。右側面には「青柳連」、左側面には「政丑之春」とある。これは文政の丑(うし)年の意と思われ、とすると1829(文政12)年の建立となる。裏面には「貞沖翁」の名。青柳連という狂歌のグループが柳鬼軒という号の狂歌師を悼んで建てた碑で、その代表が貞沖という人物。青柳連が会を開いていたのが本長寺--と考えられる。

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