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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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被爆1カ月 毎日新聞記者が捉えた廃虚の広島

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(15)相生橋上から南側を撮影(3枚の写真をパノラマ合成・爆心地から300メートル)。左から日本赤十字社広島支部の一部、広島県産業奨励館(現原爆ドーム)、広島瓦斯本社、元安橋、中国配電本店、燃料会館(現レストハウス)、三井生命広島支社=1945年9月11日前後、新見達郎撮影 ※広島平和記念資料館(広島原爆資料館)の検証による
(15)相生橋上から南側を撮影(3枚の写真をパノラマ合成・爆心地から300メートル)。左から日本赤十字社広島支部の一部、広島県産業奨励館(現原爆ドーム)、広島瓦斯本社、元安橋、中国配電本店、燃料会館(現レストハウス)、三井生命広島支社=1945年9月11日前後、新見達郎撮影 ※広島平和記念資料館(広島原爆資料館)の検証による

 広島への原爆投下から1カ月後の1945年9月、毎日新聞記者が撮影した写真は、廃虚と化した街並みの片隅に、生活再建に踏み出した人々の姿を捉えていた。一方で米軍調査団による視察の光景も収めており、連合国軍総司令部(GHQ)による報道統制が始まる直前の様子を伝える。

 無残な焼け跡、復興ほど遠く

 被爆1カ月後の広島を捉えた一連の写真は、毎日新聞大阪本社写真部に在籍した山上圓太郎、新見達郎両記者が1945年9月9~11日ごろに撮影した。広島原爆資料館の検証で判明した撮影ポイントは、広島県大野村(現廿日市市)を含む21カ所で、復興にはほど遠い状況を伝えている。

 両記者は同9日までに広島入り。米軍調査団の視察に同行取材する一方、焼け残った建造物などを撮影した。毎日新聞には44枚が現存している。

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【広島・長崎原爆】

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