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広島への原爆投下から1カ月後の1945年9月、毎日新聞記者が撮影した写真は、廃虚と化した街並みの片隅に、生活再建に踏み出した人々の姿を捉えていた。一方で米軍調査団による視察の光景も収めており、連合国軍総司令部(GHQ)による報道統制が始まる直前の様子を伝える。
ヤミ市、バラック じわり、生きる力
一連の写真は、毎日新聞大阪本社写真部に在籍した山上圓太郎、新見達郎両記者が1945年9月9~11日ごろに撮影した。広島原爆資料館の検証で判明した撮影ポイントは、広島県大野村(現廿日市市)を含む21カ所で、復興にはほど遠い状況を伝えている。両記者は同9日までに広島入り。米軍調査団の視察に同行取材する一方、焼け残った建造物などを撮影した。毎日新聞には44枚が現存している。
このうち、原爆の投下目標とされた相生橋から南側をパノラマ撮影した写真には、広島県産業奨励館(現原爆ドーム)が写る。橋は欄干が傾いたままで、元安川の護岸も崩れている。かつて繁華街だった中島地区(写真右)も人影がなく、無残な焼け跡をさらしている。
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