新選組

「蛤御門の変」参戦の新史料 長州勢を鉄砲撃退

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見つかった長谷川軍記による日記。禁門の変が起きた元治元年7月19日には、新選組が旧東九条村で長州勢と鉄砲で撃ち合う場面の記述がある=京都市南区で2017年7月18日午後5時32分、小松雄介撮影
見つかった長谷川軍記による日記。禁門の変が起きた元治元年7月19日には、新選組が旧東九条村で長州勢と鉄砲で撃ち合う場面の記述がある=京都市南区で2017年7月18日午後5時32分、小松雄介撮影

 幕末に起きた武力衝突「蛤御門(はまぐりごもん)の変(禁門の変)」で新選組が戦闘に加わっていたことを示す日記が、京都市南区の国登録有形文化財「長谷川家住宅」で見つかった。「池田屋事件の研究」などの著作がある中村武生・京都女子大非常勤講師(幕末政治史)が18日、発表した。都の入り口だった要の場所に布陣して長州藩と激突し、鉄砲で撃ち破ったことなどが生々しく記されていた。

 蛤御門の変では、長州軍が京都に出兵。新選組が従っていた京都守護職の松平容保(かたもり)の軍と戦って敗れ、朝敵となった。しかし、各地の浪士が集まった新選組が当時果たした役割や待遇は諸説あり、明確になっていなかった。

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