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わが町にも歴史あり・知られざる大阪

人知れず建つ碑や地名などをよすがに、今につながる大阪の知られざる歴史を掘り起こします。

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わが町にも歴史あり・知られざる大阪

/475 続・玉造稲荷神社 /大阪

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細川忠興の屋敷にあった越中井=大阪市中央区森之宮中央2で、松井宏員撮影
細川忠興の屋敷にあった越中井=大阪市中央区森之宮中央2で、松井宏員撮影

 ◆環状線・玉造

庶民が守った胞衣塚 秀頼の“分身”に安住の地

 前回、玉造稲荷神社(中央区玉造2)の利休井を紹介したので、井戸をもう一つ。神社の西の越中公園は、豊臣時代は細川越中守忠興の屋敷があった。公園のすぐ北に「越中井」がある。忠興の屋敷にあったと伝わる井戸で、1934年建立の石碑もある。

 この井戸、大正末に大阪市が道路工事の際に埋めてしまい、それを惜しんだ越中町の町内会が大阪市連合婦人会の協力を得て井戸保存運動に立ち上がる。細川ガラシャ最期の地でもあり、それが女性の共感を呼んだのだろう。29年に中央公会堂で、ジャーナリストの徳富蘇峰と、広辞苑を編さんした言語学者の新村出を招いて講演会を催した。2人とも当代の一流。よくぞ招いたものだ。これでは役所も動かざるを得ず、34年に道路占有を許可し、井戸を掘り出した。石碑の題字と碑文は徳富蘇峰と新村出の筆だ。

 境内に戻る。なにより目立つのは高さ3メートルの豊臣秀頼像だ。今の大阪城築城80年にあたる2011年に建立された。鈴木伸広祢宜(ねぎ)(42)は「秀吉像は各地にありますが、秀頼像はここしかありません」。堂々とした偉丈夫で、下ぶくれの顔が福々しい。

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