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ヒロシマ伝えて

昨年のオバマ前米大統領の訪問などで資料館の入館者は大幅に増えている。被爆体験者が減る中、惨劇を伝える役割が高まる広島原爆資料館の姿を追った。

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原爆資料館の模索/上 遺品から命の重さ 被害解明へ執念

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被爆時に子どもたちが着ていた衣類の展示に見入る入館者=広島市中区の広島原爆資料館で、山田尚弘撮影
被爆時に子どもたちが着ていた衣類の展示に見入る入館者=広島市中区の広島原爆資料館で、山田尚弘撮影

 

 あどけない坊主頭の男の子の写真と、ぼろぼろの学生ズボン。傍らには「体中の水分がみんな涙に変わったのかと思うほど、いつまでも泣き続けました」との手記。12歳の我が子を失った母の悲しみが添えられている。

 72年前の原爆投下で奪われた市民の命。日常だった姿や衣服は遺影や遺品となり、修学旅行生や外国人観光客らがその前で涙ぐむ。爆心地近くの広島原爆資料館(広島市中区)で繰り返される光景だ。あの惨劇をいかに伝えるか。開館から62年の歳月は資料館の模索の日々でもあった。

 資料館は2000年代から、被爆した実物の展示に加えて遺品にまつわる家族の話を詳しくした。きっかけは1999年度から始めた寄贈者へのアンケートだ。被爆死した女学生の衣服を寄贈した母が、原爆当日に持たせた好物の卵入り弁当を食べることなく逝った娘を思い、卵を見る度に泣いていたと親族がつづった。資料館は、家族らの思いが加わることで命の重さが浮かび上がると気付いた。

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