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’17年平和考・京都/1 同大OB、94歳語る 生きてラグビーができる /京都

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久しぶりに同志社大のユニホームに袖を通した久米淳介さん(右)。後輩の広畠登さんと一緒にボールを触り、「『ラグビーをまたやりたい』という気持ちが湧いてくる」と笑顔をみせた=京都市左京区で、小松雄介撮影
久しぶりに同志社大のユニホームに袖を通した久米淳介さん(右)。後輩の広畠登さんと一緒にボールを触り、「『ラグビーをまたやりたい』という気持ちが湧いてくる」と笑顔をみせた=京都市左京区で、小松雄介撮影

終戦から4カ月、夢中で試合

 「生きているんやな。もう一度ラグビーができる」

 1945年12月2日、京都大グラウンド。戦後初めてとなる京大との定期戦で、当時、同志社大ラグビー部の主将だった久米淳介さん(94)=京都市左京区=は、約2年ぶりに楕円(だえん)のボールの感触を楽しんでいた。

    ◇

 同志社大のラグビー部の創部は1911年で、慶応大、京大に次いで日本で3番目に古い。同じ京都の京大は当時の最大のライバルで、43年10月17日、学徒出陣前の最終試合「出陣学徒壮行試合」で戦った相手でもあった。

 敵性語が禁止されていた時代、ラグビーも「闘球」と改称され、トライは「略陣」などと用語も改変された。それでも「慶應義塾体育会蹴球部百年史」によると、「名称変更はあったが、細かい呼称(変更)はなかった」といい、選手間では変わらず本来の用語が使われていたという。

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