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水害前の古里の写真を見せる安元さん

「女の気持ち」ダイジェスト

 豪雨と濁流の中、92歳の母が一人住む福岡県朝倉市の実家を目前に、冠水した道を牛歩のごとく進んだ。車外に出て流木をよけ、腹ばいになってタイヤにかみ込んだ容器を取り除いた。ようやく実家の庭に到着。腰まで水につかり玄関にたどり着いた。愛車は直後に水没。運と犠牲で生かされた私の命。大切にしたい。<7月24日西部本社版掲載 「私は生きる」>

豪雨の中、母の元へ

 「年寄り一人で心細いだろうと必死でした」

 九州北部豪雨が発生した7月5日、激しい雨の中を安元洋子さん(66)は、北九州市若松区の自宅から母ひなさん(92)が住む福岡県朝倉市蜷城(ひなしろ)地区の実家まで、愛車の軽自動車を走らせた。

 午後2時半ごろ出発し、通常なら2時間半程度で着くが、日が暮れても着かない。橋の上で立ち往生、渋滞で前に進まない。

 橋を渡りきって、他の車が行かない川沿いに右折。だが、実家に向かう道路は冠水し、車道と両側にある溝との境目が分からなくなっていた。ゆっくりゆっくり走った。

 その間に流れてきた物がタイヤに絡みついた。車を止めて雨の中、取り除き、再度ハンドルを握る。

 ようやくたどり着いた実家駐車場。車外に出ると水は腰まできていた。愛車は水に浮かび始めた。

 この時、頭に浮かんだのは庭師だった亡父が残した手作りハシゴ。4メートルほどあり、これを使って流れ始めた車、自転車や米保冷庫を車庫に押し戻し、流れないようにつっかい棒とした。

 自宅は石段5段分だけ高いところにあり、まだ水につかっていない。母は大丈夫か。

 「暑いねー」。自宅に入ると、ひなさんは1階で寝転んでテレビを見ていた。「少し認知症があり、外の豪雨に気付いていなかったようです。パニックになっていたら大変だったので、その点は助かりました」

 すぐに停電になった。「母がほとんど上がったことがない2階へ連れていった。ロウソクと懐中電灯も持っていきました」。母に一番大切な物を聞くと「化粧品」と言うので父親の位牌(いはい)と共に上に運んだ。

 おなかをすかせている母に、自宅からクーラーボックスで運んだすしや煮付けを懐中電灯の明かりで食べさせた。「たまにはこんなして食べるのもいいね」との母の言葉に緊張がほぐれた。

 だが、確実に水位は上がってきた。1階に行ってみると、上がりかまちまで水が。安元さんは覚悟を決めた。「お母さん、いよいよの時はクーラーボックスをヒモで体に巻くので、うまく浮いて流れに任せて」と諭した。

 ひなさんもその時は正気だった。「あんたが来てくれてよかった。あんたがいなかったら、私はおかしくなっていただろう」。そう言いながらも、すぐにベッドで熟睡し始めた。

教訓「一日一日を大切に」

 安元さんは一睡もせず朝を迎えた。ようやく水が引き始め、消防団や自衛隊の迎えの車が来た。ひなさんは消防団員に背負われ助けられた。母娘は近くの公民館に避難。近隣の筑前町に住む妹がひなさんを迎え、安元さんは夫の車で帰宅した。

 ひなさんは近くの老人施設に入ることが決まっていたが、より被害が大きい地区の老人が優先され、後回しに。「最近、母は豪雨の日、家にいたのはあんただったかねと妹に聞くそうです。それはそれでいいんです。あの時、パニックにならなかったことで本当に助かった」

 筑後川と支流が流れる朝倉市は、これまで何度も水害に見舞われた。1953年6月の大水害の時、安元さんは2歳。「高台の畜産農家に避難し、豚と一緒に寝ました」とその時の写真を見せてくれた。確かに安元さんの横には豚が横たわっていた。

 「それ以来、豚が好きになった」と、自宅には妹から贈られた豚の置物が並ぶ。

 水害を体験し、約30年前に亡父が建て直した実家は石段5段分、盛り土をしてから造っていた。それが功を奏して、今回の被害は床下浸水にとどまった。周辺では床上浸水など大きな被害が出ていた。

 多くの教訓を得た水害だった。懐中電灯の場所を確認しておく。停電を予想し、水をためておく。車に金づちやロープを備える。同時に痛感したのは「明日も同じ朝が来るとは限らない」という事実だ。「人への感謝を忘れず、一日一日を大切に、ていねいに生きようと思いました」

 愛車は水につかり、使えなくなった。パートや実家に通うためには必需品で「この際、新車を買おうとカタログを見ていました」。だが「まだ見つかっていない方もいる。私だけぜいたくはできない」と思い直し、これまで通り中古車を頼み、古里の母の元に通うことにした。【松田幸三】


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