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岡崎 武志・評『影裏』『高峰秀子と十二人の男たち』ほか

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今週の新刊

◆『影裏』沼田真佑・著(文藝春秋/税別1000円)

 沼田真佑『影裏(えいり)』は、デビュー作で第157回芥川賞を受賞。記者会見で心境を聞かれ「ジーパンを1本しか持っていないのに、ベストジーニスト賞をいただいてしまったような気分」と答え、笑いを取った。大したものだ。

 岩手に親会社から出向してきた31歳の秋一が、ただ一人打ち解けたのが同僚の日浅だ。暇を見つけては、川辺に立ち、釣りをする二人。土地の匂いに解け込まぬ主人公が、岩手の自然と日浅にのみ、心を開く。しかし、日浅は突如退職、秋一の前から姿を消した。

 東日本大震災以後も描かれ、静かな崩壊の予兆が、孤独と喪失の物語に示される。「川のゆるく蛇行して流れるのにつれて、土手全体が両岸の杉や檜の樹影に青く浸されるところに差しかかった」と、夏から秋にかけての風景と一体化した自然描写が素晴らしい。

 人間の実体や心はおぼろで、川の流れや繁殖した植物の存在感こそ確かである。そんな印象を残す小説だった。

◆『高峰秀子と十二人の男たち』高峰秀子・著(河出書房新社/税別1800円)

 2010年に死去して以後も、続々と著作が刊行される高峰秀子。

 『高峰秀子と十二人の男たち』は、阿部豊と谷崎潤一郎との映画「細雪」対談に始まり、いずれも当代一流の男性と、丁々発止とやりあっている。

 三島由紀夫とは恋愛の話。「案外だまされやすいんじゃないかな」(三島)に「だまされてみてえな。わたしゃしつこいからね(笑)」と返す。近藤日出造には「人気は自分で作るんじゃなくて、人が勝手に作ってくれる」と発言。「女優は女優らしくカマトトでいかなくちゃ」と近藤があわてたくらい、正直な人だった。

 ほか、渡辺一夫、成瀬巳喜男、森繁久彌らを相手に一歩もひけを取らない。そんな中、「あなたは若いときからなにか悲しいひとでしたよ」という林房雄の一言が、ぐっと胸に突き刺さる。

 26歳から80歳まで、対談を通して高峰秀子という女性の姿勢のよい生き方が伝わってくる。やはり一流は違うなあ。

◆『日常学事始』荻原魚雷・著(本の雑誌社/税別1300円)

 荻原魚雷は大学在学中からフリーのライター稼業に手を染め、30年この世界で生きる。お金はないけど、ヒマだけある暮らしから、衣食住におけるさまざまな知恵とアイデアを生み出してきた。『日常学事始』はその集大成。お茶はペットボトルを買わず、自分で入れる方が安上がり。洗濯ネットを使えば衣類は5倍長持ちする。安くて簡単なレシピなど、細かに開陳。貧乏だけど「臭く」ない。何より日常を工夫することで生活を楽しんでいる。そこにユーモアも交じる希代の名著だ。

◆『浅草風土記』久保田万太郎・著(中公文庫/税別1000円)

 俳句、戯曲、小説と文筆の粋を極めた久保田万太郎。『浅草風土記』は、明治22年浅草生まれのザ・江戸っ子が、情緒溢(あふ)れる頃の市中一の繁華街を隅々まで綴(つづ)る。「読者よ、わずかな間でいい、わたしと一緒に待乳山へ上っていただきたい」と、焼け野原とかろうじて残った「古い浅草」へ招待する。「……」や「--」を多用した文章は時間を行きつ戻りつさせながら、読み手を引き込んで行く。駒形のどぜうや、仲見世、仁王門、三社さま、あやめ団子と並べるだけで、よき時代のよき町。

◆『日本の異界 名古屋』清水義範・著(ベスト新書/税別824円)

 タモリが名古屋の悪口を言い続けたことがあった。しかし、あれで認識が高まったとも言える。出身者である清水義範が、『日本の異界 名古屋』で、「これが名古屋だ」と決着をつける。魅力度アンケート最下位の都市は、であるからこそ独自の進化を遂げられた。それ自体完結して、東京にも大阪にも興味がない。みそカツ、台湾ラーメン、小倉トースト、そして気がつけば名古屋発の「コメダ珈琲店」が全国を席巻しつつある。徳川宗春の失敗にまで遡(さかのぼ)る、独自の名古屋論が炸裂(さくれつ)だ。

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岡崎武志(おかざき・たけし)

 1957年、大阪府生まれ。高校教師、雑誌編集者を経てライターに。書評を中心に執筆。主な著書に『上京する文學』『読書の腕前』『気がついたらいつも本ばかり読んでいた』など

<サンデー毎日 2017年9月10日号より>

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