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連載小説 ストロベリーライフ

/57 振り返るな。過去に未来はない。 作・荻原浩 画、佃二葉

=画、佃二葉

 一時間に二本のバスが停留所へ到着する時刻がくるたびに、誰かがこちらへ歩いてこないかと恵介(けいすけ)は路上に走り出る。サンタクロースのコスプレ姿で。

     開園から一時間が経(た)ったが、いまだ客はゼロ。道には近づく車の影もなかった。白い髭(ひげ)までつけた扮装(ふんそう)に寒風が沁(し)みる。

     ようやく一台の車がやってきたのは、十時半を過ぎた頃だ。外国製のSUV。車種を知り尽くしている近隣の人間の車じゃない。最初の客だ!

     誘導用のペンライトを振り、営業用スマイルを顔に張りつかせていた恵介は、すぐに肩を落とす。見たことがある車だと思ったら、運転席で手を振って笑っているのは、雅也(まさや)さんだった。

     助手席のウインドーから誠子(せいこ)ネエが顔を突き出してきた。

    「忙しいだろ。手伝いに来たよ。あららあ、貧相なサンタだね。私にも衣装ある?」

     やる気まんまんなのがてっぺんをおだんごにした髪型でわかる。同じヘアスタイルの陽菜(ひな)も一緒だった。

    「陽菜もサンタさんになるっ!」

     気持ちは嬉(うれ)しいけど、間に合ってます。

     手伝う気はないとひと目でわかるテーラードジャケット姿の雅也さんが、リモコンキーを恵介の顔の前に突き出した。

    「恵介くん、送ったメール見た?」

    「いえ、今日はまだ」

     キーの先がとんぼ採りのようにくるくると回った。

    「来たよ、大量注文」

    「どこから?」

    「香港」

     望月農園のホームページには英語版と中国語版もある。外国向けバージョンのほうは雅也さんの会社に一任――というか丸投げしていた。

    「……ほんとに来たんだ」

    「そりゃあ来るよ。僕は勝算がなければ闘わない主義だもの」

     雅也さんは前々から言っていた。「海外も相手にしようよ。ネットなら国境なんてひとっ飛びだから」植物検疫の必要がない香港が狙い目だとも。恵介は話半分に聞いていたのだが、本当に飛び越えちまったらしい。

     嬉しい。だけど……

    「海外に出すとなると完熟苺(いちご)は無理かも」

     空輸なら朝採りの翌日には現地に届くのだが、梱包(こんぽう)を国内向けより厳重にしたとしても、輸送のダメージは避けられない。

    「そこまでこだわらなくても。ほぼほぼ完熟あたりで、手を打とうよ」

    「いや、でも、俺のポリシーが」

     雅也さんがまたリモコンキーをくるくる回した。

    「完熟は食べに来てもらえばいいじゃない」

    「え?」

    「輸出用パッケージに農園の招待状を入れておこうよ。中国語の。きっとここまで来るよ、大勢。富士山、外国人に人気だし」

     へらりと笑っているが、雅也さんの目は本気だった。

     雅也さんは誠子ネエに誓った「誠意」のために支援してくれている――だけじゃない。恵介の話を聞いているうちに、農業が新しいビジネスモデルになると気づいたのだそうだ。

     雅也さんとは、望月農園をゆくゆくは会社組織にしようと話し合っている。業務を拡張するために望月家の手前に広がる耕作放棄地を手に入れ、従業員も雇う。恵介は先々の夢として語っただけだが、雅也さんには何カ年か計画の一環のようだ。

     背後からまた車の走行音が近づいてきた。今度は誰だ。「私と大輝(だいき)にも手伝わせろ」と言っていった剛子(たかこ)ネエか。「ケーキ需要で出荷が大変よ。万万(まんまん)が一(いち)、手があいたら顔を出すけどな」とほざいていたガスだろうか。

     振り返ると、名古屋ナンバーのワゴンが近づいてくるのがわかった。連なるようにその後ろからもう一台。

     ハイヒールをスニーカーに履き替えた誠子ネエが言う。

    「ああ、もうこんな時間か。もっと早く来るつもりだったんだけど、高速道路、めっちゃ混んでてさ」

     そうだよ、予約が入ったのはほとんど県外からだった。

     客だ。

     十一時半。

     駐車スペースが足りず、母家の敷地に車を誘導していた恵介がハウスに戻ると、入り口にはまた新たな客が並び、進子(しんこ)ネエからコンデンスミルクの入ったカップ容器を受け取っていた。「最初はミルクなしで食べてみてくださぁ~い。苺本来の味が楽しめまぁっす」

     進子ネエの声がいつもより優しいのは、駐車場の隅の簡易トイレにも板を貼って、ログハウス風に仕立てている渡真利(とまり)さんが近くにいるからだろう。

     富士望月いちごを並べた売店にも人が集まり、サンタ服の誠子ネエがデパート仕込みのセールストークを炸裂(さくれつ)させていた。

    「そうなの、高価(たか)いんですよ、うちの苺。なに考えてるんだか。でもほら、サイズが違うでしょ。こっちの“お試しファミリーパック”はいかが。これなら、ひと箱、たったの1000円」

    「富士山、見えなくてごめんなさいね。後でフジさんによく言って聞かせときます。あ、お詫(わ)びにこのガラス小鉢もつけますから、もうひと箱いかが?」

     進子ネエの珠玉の「作品」が苺のおまけになっている!

     引き戸を開けると、暖気とともに歓声や笑い声が外へあふれ出てきた。

     ハウスの中央に設けたテーブルには、チョコ苺をつくれるチョコフォンデュタワーが置いてある。お客さんにフォンデュ用の串を渡しているのは、母親だ。この日のためにパーマをかけた髪にトナカイのカチューシャをつけた姿は、トナカイというより、奈良のゆるキャラ、せんとくんみたいだった。

    「ご先祖さまに申しわけにゃあ」と苺狩り農園に反対していた親父(おやじ)も様子を見に来ていた。誠子ネエにむりやりかぶらされたサンタ帽を耳の上に載せた顔は、憮然(ぶぜん)としたままだったが。

     剛子ネエに連れられてしぶしぶやってきた大輝は『望月牧場』にいるはずだ。牧場と言っても親株の圃場(ほじょう)だった場所に囲いをつくっただけだが、そこには先月から飼いはじめたヤギとウサギがいる。食用じゃない。お客さんに喜んでもらうための小さな動物園だ。

     本当にやる気があるのなら、大輝に仕事を継いでもらっても構わない、恵介はそう考えている。親父が守ってきた農地を自分一人のものにするつもりはなかった。いまは開店休業状態だが、グラフィックデザイナーの仕事を辞めるつもりもない。この農園をみんなのものにしたかった。

     進子ネエはガラス工芸の工房をここに移そうと考えはじめている。誠子ネエは土日だけ営業する喫茶店を開く計画を勝手に立てている。剛子ネエは佐野さんの定年後に二人で畑をやると言っている。ウエルカムだ。そのかわり、苺の仕事を手伝ってもらわねば。

     誰かがやるだろう、ではなく、誰もが少しずつやれる農業でいいじゃないか、と思うのだ。収入の少なさも労働の厳しさも、兼業だと思えば、一緒に働く誰かがいれば、半減する。仕事が楽しくなるかもしれない。

     農業を舐(な)めるな、昔からのやり方がある、と親父は怒っていた。でも、違う職種のプロが集まれば、新しい何かが生まれることもある。この望月農園の計画にしても、みんなの労働力や情報や資金がなければ、恵介にホームページやパッケージをデザインする能力がなければ、ただの妄想で終わっていたはずだ。

     新しい人間に、素人に、口を出させず、手を出させないで、高齢化が進む農業の未来をどうするというのだ。

     さっきから何度もそうしているように、恵介はまた時計を眺めた。いちばん大切な客がまだ来ていないからだ。

     美月(みづき)と銀河(ぎんが)だ。


    ※「ストロベリーライフ」は毎日新聞(日曜版)で2015年1月~16年2月まで掲載されました。単行本が毎日新聞出版から刊行されたことを記念して、ニュースサイトで毎週日曜日に掲載しています。単行本でお読みになりたい方は、こちら(http://amzn.to/2dnQfuu)からお買い求めください。

    荻原浩

    さいたま市出身。成城大卒。1997年「オロロ畑でつかまえて」で小説すばる新人賞を受賞してデビュー。「海の見える理髪店」で第155回直木賞受賞。東京都在住。

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