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今週の本棚・この人この3冊

カズオ・イシグロ=中島京子・選

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 <1>浮世の画家(カズオ・イシグロ著、飛田茂雄訳/ハヤカワepi文庫/777円)

 <2>わたしを離さないで(カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫/840円)

 <3>夜想曲集――音楽と夕暮れをめぐる五つの物語(カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳/ハヤカワepi文庫/819円)

 太平洋戦争中に戦意高揚画を描いていた画家の終戦後の回想という形式をとる、著者の長編第二作『浮世の画家』。舞台は日本だが、五歳でイギリスに渡り、英国籍を持つカズオ・イシグロの描く日本は、小津安二郎や溝口健二の映画みたいで、どこかひどく懐かしい。そして飛田茂雄訳は、とても流暢(りゅうちょう)で、昭和二十年代の日本を現出させるに十分な、非常に端正な日本語なのである。だからうっかり海外文学だということを忘れそうになるのだけれど、これを初めて読んだとき、ある、未経験の混乱が、私を襲った。語り手の小野益次は、ものすごい勢いで自分の人生を語るにも関わらず、大事なところになると、絶妙に奥歯に物の挟まった口調になる。韜晦(とうかい)、悔恨、正当化、憐憫(れんびん)……。人が自己を語るときに思わず紛れ込むそうした感情が小野の語調を鈍らせ、ときには逆に饒舌(じょうぜつ)にする。そのゆらぎの中にこそ、明確に語られないものの中にこそ、多くが語られる。イシグロの十八番、「信用できない語り手」に、私が強烈に出会ったのは、この作品でだった。

 イシグロの小説にとって、記憶は何より重要だ。小野益次の述懐も、記憶を曖昧にしたり、ごまかしたりする。この「記憶の混乱」というテーマには、捏造(ねつぞう)とか隠蔽(いんぺい)とか、ネガティブなイメージがある。けれど、「記憶」の作家イシグロのアプローチは、それだけでは終わらない。

 たとえば、最新長編にして世界的ベストセラーとなった『わたしを離さないで』においては、むしろポジティブな面も語られる。冒頭、幸福な少年時代を持たない臓器提供者が、語り手である介護人のキャシーに、子供時代の思い出を話してくれとねだる。「薬と痛みと疲労で朦朧(もうろう)とした瞬間に、わたし(キャシー)の記憶と自分の記憶の境がぼやけ、一つに交じり合うかもしれない」からと。ここはちょっと、ストーリーを知る者には涙なしには読めない部分なのだが、映画も公開されたことだし、ぜひぜひご一読を。そして、この小説のいちばん怖いところも、キャシーの記憶と読者一人一人の記憶が一つに交じり合ってくるような文章の力なのである。

 濃厚な語りで圧倒的な世界を構築する長編には、新作が出るたび驚かされる。一方、著者が「こういうものが好きな人」のために書いたという『夜想曲集』は、イシグロのブラックユーモアがさく裂する短編集で、こちらもちょっと病みつきになる面白さがある。

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