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屋台から始めて都心にビルまで建てた男。生ける伝説「ホープ軒」主人の東京豚骨ラーメンを味わう!(GetNavi web)
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サニーデイ・サービス 田中 貴のラーメン狂想曲 ホープ軒 [千駄ヶ谷]
大勝軒の故・山岸氏、ラーメン二郎の山田総帥などと並び、 ラーメン界の歴史に名を刻むホープ軒・牛久保英昭氏。メディアにはあまり登場しないが、 面白エピソードの多さは書ききれないほど。今回はその一部を紹介。
田中 貴
2008年に再結成を果たし、以来ライブを中心にマイペースながらも精力的に活動を続けるサニーデイ・サービスのベーシスト。10月4日に恵比寿リキッドルームの「LIQUIDROOM 13th ANNIVERSARY」、10月21日にはトヨタスタジアム外周での「TOYOTA ROCK FESTIVAL 2017」に出演。
あの頃、僕の憧れたトーキョーは明け方までキラキラ輝いていた
深夜の外苑西通り。青山キラー通りと呼ばれるあたりを越えると突如現れる、ライトアップされた黄色い四階建てのビル。目の前に車を停め、プラスチックの食券を買い、おしぼりを冷蔵庫から取り出す。立ち食いのカウンターにズラリと並ぶタクシーの運転手や、マスコミ関係者だかの怪しげな男の間に、隙間を見つけて入り込み、ジャスミン茶をひと口。ラーメンが出来るとともに、カウンターにザルがポンと置かれる。その中に入ったネギを、トングでひと摑みドサっと丼に入れ、背脂が絡む太麺を頬張る。味、スタイルのすべてが目新しく、90年代初頭、上京してきたばかりの僕にとって「おら東京さに出てきただ」と最も実感できる場所だった。
↑取材中も、ちょっと時間が空くと店の前を掃除するなど、高齢をまったく感じさせずに働く元気なレジェンドであった
牛久保英昭店主は、1960年、20歳で屋台を引き始めた。最初はチャルメラを吹きながら、ちょっと濃いめの醤油ラーメンを提供していたそう。夜遅くまで働くマスコミやタクシーの運転手にターゲットを絞り、拠点を日比谷に移した頃から味を改良、後に東京豚骨と呼ばれるラーメンを独学で作り上げた。
練炭が主流だった屋台にプロパンガスを導入し、強い火力で白濁した濃厚豚骨スープを炊き上げ、当時珍しかった太麺に切り替えるなど、目新しさが評判となり一日500杯以上も売り上げたそう。
↑ラーメン(750円) 二郎と同時代に生まれ、二郎より先にブレイクしたラーメン。そのインパクトは、いまでも薄れることはない。店はいつでも背脂豚骨ラーメンが食べられる、年中無休、24時間営業
インパクトだけじゃない、数十年にわたり愛される味
この地に店を構えて40年ほど。90年代に環七に大行列を作った「土佐っ子」のほか、「香月」「弁慶」など、ホープ軒出身者の人気店は多く、背脂系の東京豚骨は、ラーメン界の歴史を塗り替える一大ジャンルとなった。牛久保店主に長く人気が続く秘訣を聞いたところ
「手を抜かず、常に向上心を持っていること」
と、ドキッとするほど真っ当なお言葉をいただいた。牛久保店主の真摯な人柄がうかがえる。と思ったら
「屋台を引いてたのは15年。ほんとはもっと早く店持てたんだけどさ、毎日の売り上げを目の前に見ちゃうとさ、まあ使っちゃうよね」
そりゃそうだ。屋台から始めて都心にビルまで建てた男、どてらい(すごい)エピソードが山ほどあるに違いない。
<これも味わいたい!>
↑薬味ネギ(無料) このネギ入れ放題システムも斬新。ただ、調子に乗って入れすぎると、スープはぬるくなるし、味のバランスも崩れるのでほどほどに
<この一杯からはこんな 音色が聴こえてきた!>
ヴァンゲリス「炎のランナー」
3年後に開催される東京オリンピックのメイン会場の真ん前にそびえ立つホープ軒。日本の玄関口として、ホープ軒が世界各国の選手団を迎えることとなる。
【店舗情報】
ホープ軒
住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷2-33-9
営業時間:24時間
定休日:なし
取材・文/田中 貴 撮影/黒飛光樹(TK.c)
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