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馬場正男と撮影所・京都カツドウ屋60年

勝田友巳記者が、京都の撮影所と共に人生を歩んだカツドウ屋が見てきた映画戦後史をひもときます。火曜日更新。

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馬場正男と撮影所・京都カツドウ屋60年

/142 撮影所売却、一気に半分

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1957年、大映京都撮影所の“グランプリ広場”の市川雷蔵(右端)ら。撮影所売却でこの広場もなくなった
1957年、大映京都撮影所の“グランプリ広場”の市川雷蔵(右端)ら。撮影所売却でこの広場もなくなった

 1970年5月、大映と日活の配給系統を一本化したダイニチ映配は、ヨロヨロと船出する。30日公開の第1回配給作、大映「太陽は見た」と日活「盛り場流し唄 新宿の女」はそこそこの滑り出しだったものの、6月は3番組6本を公開して総配給収入は2億5000万円。月4億円以上との見込みを大きく下回った。

 前後して5月、大映が東京・京橋の本社ビルと東京、京都両撮影所の一部、東京・池袋の劇場を売却することが明らかになる。累積赤字38億円、借入金60億円と、利息の支払いだけで首が回らなくなっていた。

 永田雅一社長から京都撮影所の売却計画を任された、所長の鈴木晰也は「切り売りされるくらいなら、この際京撮の半分を売却するくらいの計画を示し、思いきった案だと思わせるのが後々の始末がよい」と腹をくくった(「ラッパと呼ばれた男」)。かくして撮影所西側のオープンセットと、事務関係の建物があった東側正門周辺の土地、合計約7000坪を売り払うことが決まる。永田の決断からわずか2カ月で、建物の取り壊しが始まっ…

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