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大作オペラの歴史的上演〜パリ、オペラ座、「ドン・カルロス」フランス語初演版

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ヨナス・カウフマン(ドン・カルロス)とイルダール・アブドラザコフ(フィリップ2世)(C)Agathe Poupeney
ヨナス・カウフマン(ドン・カルロス)とイルダール・アブドラザコフ(フィリップ2世)(C)Agathe Poupeney

 1867年にパリのオペラ座で初演されたヴェルディの「ドン・カルロス」は、当時のオペラ座のスタンダードだった「グランド・オペラ」として成立した。「グランド・オペラ」とは、歴史を題材にした4幕または5幕構成の大作オペラで、バレエやスペクタクル場面も盛り込まれ、当時のオペラ座のおもな聴衆だったブルジョワ層に好まれたとされる。だがその長大さが今日では逆に障害となり、オペラハウスのレパートリーとして上演される作品はほとんどない。

 「ドン・カルロス」も、ある意味同じ道をたどった。現在おもに上演されているバージョンは、初演から17年たった1884年にミラノのスカラ座で初披露された、イタリア語による4幕構成のバージョン。タイトルも当然イタリア語の「ドン・カルロ」である。

 ちなみにタイトルロールの「ドン・カルロス」は16世紀スペインに実在した王子で、父である国王フェリペ2世と対立して破滅する。オペラはフリードリヒ・シラーの戯曲をもとにしており、ドン・カルロスと義母にあたるフェリペの妃との許されざる恋など史実にはないフィクションも盛り込まれている。

 現在のスタンダードになっているイタリア語4幕版は、ドラマティックな見せ場や緊張感にあふれた美しい旋律など、聴きどころ満載の名作だ。だが、時間を短縮するために、物語の重要な縦糸であるカルロスと義母が出会って恋に落ちる第1幕をカットしてあり、物語としては少々わかりづらくなっている。他にも、人物の感情の変化が唐突だったり、極端にデフォルメされていたりと、不自然さを感じさせる場面がないとはいえない。第1幕を復活させた「イタリア語5幕版」もあるが、音楽的な印象は4幕版とかなり共通する。

 この10月、本作が初演されたパリのオペラ座で、初演150周年を記念して蘇演されたフランス語5幕版の「ドン・カルロス」は、さまざまな意味で歴史的な上演だった。

 フランス語5幕版による上演は、1996年にパリのシャトレ座で行われたものが嚆矢(こうし)である。オリジナルの言語と幕構成を復活させた上演として大変話題になったが、いわゆる初演の時のバージョン(これについては後述)ではなく、音楽的にはイタリア語5幕版とさほど変わらないものだった。ただ、フランス語の響きを通じて、音楽の感触はかなり変わったといえる。

 21世紀に入った2004年、ウィーン国立歌劇場で「初演版」が上演された。もちろんフランス語による5幕版で、通常カットされるバレエ音楽も復活させたもの(ただしペーター・コンヴィチュニーによる演出は、バレエの場面にまったく別のパントマイムを充てたものだった)である。

 ややこしい話で恐縮だが、「ドン・カルロス」は、「初演版」の定義にも問題がある。本作には、初演の日に上演された、文字通りの「初演版」は存在しないのだ。存在しているのは、「ゲネプロ」の際に上演された「ゲネプロ版」と、「初演2日目版」。というのもゲネプロの結果、長すぎるとして急きょ数カ所のカットを余儀なくされ、さらに初演後、ヴェルディによりさらにカットが施されて、2日目にはそれが上演されているのである。なので「初演版」とした場合、「ゲネプロ版」か「初演2日目版」のいずれかになる。

 筆者は現地での観劇の機会には恵まれておらず、映像で鑑賞しただけだが、映像の解説に使用バージョンについての細かい記述がないため、どの版を使っているのか最終的な判断はできない。が、わかる範囲で資料に当たった限りでは、ゲネプロ版(少なくともそれに近いバージョン)だと思われた。

 この映像に接してとても新鮮だったのは、従来のイタリア語4幕版とは相当異なる音楽で、フランス語の響きの柔らかさと、音楽が人物の感情の変化をていねいに追っている(そのため長大になっている)ことがよくわかったことである。一方で、イタリア語4幕版よりヴェルディの「初期〜中期」の音楽が色濃く残り、同時に、フランス・オペラの大きな特徴である息の長い旋律(グランド・オペラの人気作曲家だったマイアベーアのオペラなどによく見られる)もあちこちに見られて、本作が伝統的な「グランド・オペラ」の影響を受けていることも理解できた。

150年ぶりに蘇演されたフランス語5幕版の「ドン・カルロス」 (C)Agathe Poupeney
150年ぶりに蘇演されたフランス語5幕版の「ドン・カルロス」 (C)Agathe Poupeney

 今回のパリ・オペラ座による上演は、世界初披露であるバージョンであることをうたっていた。オペラ座のサイトにあるフィリップ・ジョルダンの解説によると、初演前にカットされたいくつかのパッセージが数年前に発見され、それをスコアに加えたのだという。そのパッセージが具体的にどこの部分であるかの言及はないし、「数年前」というのがいつのことかもわからないので、厳密な版はやはり特定できない。が、作品成立時の形態にできるだけ忠実なバージョンが、初演の地パリにおいて蘇演された意義は大きい。

 また今回のパリの上演では、バレエ音楽は、「ドラマに関係がない」(ジョルダンの言葉)という理由でカットされた。

 おそらく今回の上演を提唱したのは、パリ・オペラ座総裁のステファン・リスナーだろう。リスナーは、以前シャトレ座の総裁をつとめていた時に、「ドン・カルロス」のフランス語5幕版を上演し、成功を収めた人物である。2014年にオペラ座の総裁に就任した彼にとって、「ドン・カルロス」を、初演劇場であるオペラ座で、作品成立時のバージョンで上演することは、意味のあることに違いないだろう。

 もちろん、我々オペラファンにとっても重要な公演であり、「ドン・カルロス」上演史におけるエポックメーキングな上演であったことは間違いない。キャスティングも、今をときめくスター・テノール、ヨナス・カウフマンをタイトルロールに迎えたのをはじめ、人気スターをそろえた豪華なもので、本公演に懸けるオペラ座の意気込みがうかがわれた。

 実際に劇場で接してみると、「ドン・カルロス」は通常イタリア語で聴き慣れている「ドン・カルロ」とはまったく別の作品である。ヴェルディはフランス語による「ドン・カルロス」と、イタリア語による「ドン・カルロ」の二つのオペラを書いたといっても言い過ぎではない。フランス語版では、何より人物の感情の移り変わりがより自然で、きめ細かく描かれている(そのためたくさんの音符が必要なのだ)。それはとくに二重唱の部分で顕著だった。またカルロスがカール5世の亡霊に連れ去られるというミステリアスな結末の前にも、イタリア語4幕版にはない父とのせめぎ合いがあり、破局へ至る過程がより緻密で、手に汗を握らせる。オーケストレーションもより細やかで、とりわけ管楽器の扱いが雄弁だ。イタリア語版は、劇的でコントラストの強い音楽が多く、めりはりがあって、よりわかりやすくなっているのである。フランス語版のほうが「大人の音楽」かもしれない。

ヨナス・カウフマン(ドン・カルロス)とソーニャ・ヨンチェーヴァ(エリザベート)(C)Agathe Poupeney
ヨナス・カウフマン(ドン・カルロス)とソーニャ・ヨンチェーヴァ(エリザベート)(C)Agathe Poupeney

 演奏家たちは、この貴重なバージョンを再現するため、ベストを尽くした。タイトルロールのカルロス(フランス語読み。以下本稿の役柄はフランス語読みを採用)を歌ったカウフマンは、絶好調ではなかったものの、ニュアンスに富んだフランス語は、彼が以前から歌っているイタリア語のバージョンより、カウフマンの繊細な持ち味にあっていたように思う。

 一方、豊麗な美声で喝采を浴びていたのは、カルロスの親友ロドリーグを歌ったフランスのバリトン、リュドヴィク・テジエ。ヴェルディ・バリトンとしても世界的に活躍するテジエは、母国語の強みを生かし、深い響きと流麗な旋律表現で上演に華を添えた。役柄デビューを飾った2人の女声ソリスト、エボリ公女役のエリーナ・ガランチャと、エリザベート王妃役のソーニャ・ヨンチェーヴァも、前者はとりわけドラマティックな表現で、後者は女声らしく情緒的な役柄作り(これは音楽のせいもある)で、強い印象を残した。カルロスの父、フィリップ2世を歌ったイルダール・アブドラザコフは、美声による繊細な表現は魅力的ながら、この役を表現しきるにはまだ時間が必要かもしれない。大審問官役のディミトリ・ベロセルスキは、いかにもロシア生まれのバスの重厚な響きのよい声で、権威を強調する冷酷な裁判長を好演していた。

 とはいえ、流麗で繊細、かつ荘重な「ドン・カルロス」の世界を創り上げるのにもっとも貢献していたのは、指揮のフィリップ・ジョルダンである。2009年からオペラ座の音楽監督となり、ドイツもの、イタリアもの、フランスものの幅広いレパートリーをこなし、オーケストラの音色を洗練させてきたジョルダンは、オペラ指揮者としての経験と力量をいかんなく発揮した。ニュアンスに富んだ色彩は、彼が得意にしているベルリオーズを思わせ、しなやかにたわみ、よく歌う旋律は、ワーグナーにも共通する。細部までていねいに練り上げられ、間然とするところがない音楽は、正味4時間弱という長さをまったく感じさせなかった。

 演出はポーランドの演劇人、クシシトフ・ワリコフスキ。設定を20世紀半ばに置き換え、背後の壁面に人物の顔を大写しにして内面を表現するなど映像も取り入れる。室内、それも私室のような場面が多く、演技もきわめて内面的だ。歴史的かつスペクタクルな雰囲気は、第3幕第2場の異教徒の火刑の場にかろうじて残された。内面的な作品であることを強調したいのは理解できなくもないが、本作の多面的な魅力が十二分に生かされたとはいえない演出だったように思う。

壁面に人物の顔を大写しにするなど映像も取り入れたワリコフスキの演出 (C)Agathe Poupeney
壁面に人物の顔を大写しにするなど映像も取り入れたワリコフスキの演出 (C)Agathe Poupeney

公演データ

【パリ・オペラ座 ヴェルディ「ドン・カルロス」(全5幕1867年パリ初演ゲネプロ版フランス語上演 パリ・バスチーユ新オペラ座新制作)】

10月10日(火)18:00新制作プレミエ/13日(金)18:00/16日(月)18:00/19日(木)18:00/22日(日)14:00/25日(水)18:00/28日(土)14:00/31日(火)18:00/11月5日(日)14:00/8日(水)18:00/11日(土)14:00

指揮:フィリップ・ジョルダン

演出:クシシトフ・ワリコフスキ

美術・衣装:マルゴザータ・シェニアク

照明:フェリーチェ・ロス

映像:デニス・ギューガン

振り付け:クロード・バルドゥーリ

ドラマトゥルグ:クリスチャン・ロンシャン

合唱指揮:ホセ・ルイス・バッソ

 

フィリップ2世:イルダール・アブドラザコフ

ドン・カルロス:ヨナス・カウフマン/パヴェル・チェルノフ

ロドリーグ:リュドヴィク・テジエ

大審問官:ディミトリ・ベロセルスキ

エリザベート:ソーニャ・ヨンチェーヴァ/ヒブラ・ゲルツマーワ

エボリ公女:エリーナ・ガランチャ/エカテリーナ・グバノヴァ

修道士:クシシトフ・バチェク

ティボー:イヴ=モー・フボー

天からの声:シルガ・ティルーマ

レルム伯爵:ジュリアン・ドラン

国王式部官:フン=ジョン・ロー

 

合唱:パリ・オペラ座合唱団

管弦楽:パリ・オペラ座管弦楽団

筆者プロフィル

 加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」(平凡社新書)他共著多数。最新刊は「カラー版 音楽で楽しむ名画 フェルメールからシャガールまで」(平凡社新書)。

公式HP http://www.casa-hiroko.com/

ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」

https://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/

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