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古事記によれば、神武天皇が東征した折、熊野で荒ぶる熊に遭遇し、天皇ともども武人たちは倒れた。天照大神(あまてらすおおみかみ)は案じ、熊野の住人・高倉下(たかくらじ)を介して、霊剣「布都御魂(ふつのみたま)」を神武天皇につかわした。天皇がそれを手にした途端、熊どもはおのずから倒れ、武人たちはみな目覚めた。さらに八咫烏(やたがらす)がつかわされ、神武天皇を大和国まで導くのだが、その熊野の高倉下を祭神としてまつったのが新宮市の神倉神社である。
この神社は、神倉山の急峻(きゅうしゅん)な崖上に鎮まっている。拝殿まで538段の石段を踏まなければならない。源頼朝が寄進の鎌倉式石段と呼ばれ、自然石を巧みに組み合わせたものである。鳥居を抜けていきなりの、中ノ地蔵の平地までがことさら険しかった。四つんばいで登る人や、平地までたどり着けずに引き返す人もいた。手すりが欲しいところだが、世界遺産ともなると、そうはいかないのだろう。
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