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藤原帰一の映画愛

否定と肯定 ホロコーストめぐり欧米と日本に距離感

 ホロコースト。ユダヤ人を中心とする人々に対してナチス・ドイツの行った暴力的迫害、強制収容、そして大量虐殺ですね。二度とこのような殺戮(さつりく)が起こってはならない、起こすことを容認してはならないという決意が、第二次世界大戦後の世界、少なくとも欧米諸国を支えてきたと言っていいでしょう。

     それでも、ホロコーストはなかったという議論を立てる人がいます。殺害された人数がニュルンベルク裁判に認定された600万人よりも少ないという主張に始まって、強制収容所にガス室は存在しなかったとか、ヒトラーによる虐殺の指示はなかったという主張、さらにホロコーストはユダヤ人と連合国によるでっち上げだという主張もある。この映画はその、ホロコースト否定に関わる実話の映画化です。

     アメリカの歴史学者デボラ・リップシュタットがその著書「ホロコーストの真実」においてホロコースト否定論を退けたところ、その著書で言及のあったイギリスのデイヴィッド・アーヴィングが、名誉を傷付けられたと訴えました。訴えた場所がイギリスなので、争うならイギリスまで行かなければならない。また、名誉毀損(きそん)なら訴えた側が立証すればよいように思いますが、イギリスの司法制度では訴えられた側に挙証責任がある。刊行したペンギン出版と協議の末、リップシュタットは裁判で争うことを決めます。

     ただ、なかなかうまくいかない。まず、弁護士が、依頼を受けて法律相談に応じるソリシターと、証拠調べや法廷での弁論を行うバリスターに分かれているのがよくわからない。裁判を準備する弁護側の方針も理解できない。リップシュタットは法廷で自分の主張をしたい、ホロコースト犠牲者にも法廷で証言してもらいたいと希望しますが、弁護側から、どちらもダメだと証言を封じられてしまう。私が訴えられてるのに証言させないなんて、この裁判おかしいじゃないか。このままではホロコースト否定論が認められることになる。映画は、訴えた側と訴えられた側ばかりでなく、リップシュタットとその弁護団との食い違いを基軸として展開します。

     俳優のおかげで成功した映画です。リップシュタット役のレイチェル・ワイズは、理想のために突き進みながら、愛くるしいので人を遠ざけない。「ナイロビの蜂」では、外交官の妻でありながらアフリカで人体実験を行う製薬会社の告発にまっしぐらというヒロインを演じました。今回もその延長線上みたいな役どころです。

     他方、弁護団は曲者(くせもの)ばっかり。ソリシターを演じるアンドリュー・スコットはテレビの「SHERLOCK/シャーロック」や007の新作で悪役だった人ですし、法廷弁護士はイギリスきっての名優トム・ウィルキンソン。純朴なヒロインと曲者の博覧会みたいな弁護団という対照ですね。

     それにしてもこの映画、ホロコースト否定はとんでもないという理解が確立しているからこそ成り立っているわけで、そこに日本との距離を痛感します。だって日本では、南京大虐殺はなかったとか従軍慰安婦は娼婦(しょうふ)だったなどという議論が当たり前のように行われている。ホロコーストについても、ガス室はなかったとかいったことを唱える人が日本では少なくありません。歴史修正主義が「とんでもない議論」ではない社会なんですね。

     邦題は「否定と肯定」ですが、映画の原題はディナイアル、つまり「否定」。そこには否定と肯定のバランスをとるのではなく、歴史上の事実を否定するなんて信じられない、あってはならないというスタンスがあります。邦題と原題とのズレのなかに、歴史問題をめぐる欧米と日本との距離を感じました。(東京大教授)

           ◇

     次回は「わたしは、幸福(フェリシテ)」です。


    ■監督 ミック・ジャクソン

    ■出演 レイチェル・ワイズ/トム・ウィルキンソン/ティモシー・スポール/アンドリュー・スコット

    ■110分、イギリス・アメリカ合作

    ■東京・TOHOシネマズシャンテ、大阪・大阪ステーションシティシネマほかで8日から

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