井上靖

家庭人の顔 疎開先の妻子へ「荷物を作っては送った」 未発表日記「終戦の日」思いつづる

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
井上靖の日記帳3冊を発見した長男で筑波大学名誉教授の修一さん、甫壬さん夫妻=2017年11月8日、太田康男撮影
井上靖の日記帳3冊を発見した長男で筑波大学名誉教授の修一さん、甫壬さん夫妻=2017年11月8日、太田康男撮影

 新たに発見された井上靖の日記は、文章修業の様子がリアルに記されると同時に、終戦前後の混乱した暗い世相を凝視する新聞記者としての冷静な筆致も特徴だ。一方で疎開先の妻子の安否を気遣う家庭人としての顔ものぞかせている。【中澤雄大】

 <ふみと子供たちを疎開させ、一ヶ月程おいて母を疎開させた。荷物を作っては送った。子供たちとふみの衣類だけは助けたかった。それ一心だった。茨木からは何一つ送れず、その苦労たるや大変だった>(1945年12月記「昭和二十年を回顧する」)

 <爆撃で自分は大阪の新聞社で死ぬかもしれぬと思った。三日毎(ごと)の宿直、その度に死を覚悟した。併(しか)し、どうにかして助かろうと思った>(同)

この記事は有料記事です。

残り1000文字(全文1304文字)

あわせて読みたい

ニュース特集