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元横綱・日馬富士の暴行問題は社会の縮図ではないか。「暴力容認論」は、なぜなくならないのか。気鋭の教育社会学者、山本宏樹・東京電機大助教に、世にはびこる暴力容認論をどう考えるべきかを聞いた。
都合のよい部分だけを見てはいけない
--暴力を認める人は「緊張感をもって努力してこそ成長する」「現実に厳しい指導によって結果が出ている」と言いますが。
暴力的指導(しごき)は日本社会のいたるところで用いられています。平手打ちなどの身体的暴力のほか、ミスをした人間を周囲が見ている前で長時間にわたって罵倒する「公開処刑」のような心理的暴力もあります。野球の「千本ノック」やバレーボールの「ワンマンレシーブ」のように、非常に強い身体的負荷のかかる動作を延々と繰り返す特訓、寝る時間がないほどの宿題を課す「スパルタ学習法」、宿泊型の新人研修で泣くほどの人格…
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