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好きに食べたい

大人と洋食=服部みれい

 3歳まで、三重の津で育った。ちいさかったから、津の記憶はほとんどなく、後から親に聞いたことばかりで記憶が構成されている。特に「津の駅前にあった電車の見えるレストランでハンバーグをよく食べたねえ」とはよく言われた。繰り返し言われたせいで、津といえばハンバーグ、という記憶が完成していた。

     あの日はとても風の強い日だった。津には1889(明治22)年創業の東洋軒の本店がある。津に立ち寄ることになって、そうだ、洋食を食べようと決めたのは、自分の無邪気さを刺激する愛らしい選択だった。

     ランチ時、一軒家のお店はとても混み合っていた。しばらく待つと、清楚(せいそ)な黒いワンピースを着てキュッと髪の毛をひとつに結んだ女性が奥の席に通してくださった。店内には、いかにも上品なテーブルが並び、紳士淑女があちこちでちいさくカトラリーの音をさせ洋食を食べている。その日は自分の誕生日だったこともあり、ちょっぴり贅沢(ぜいたく)をして「洋食コース」を頼むことにした。

     まず運ばれてきたのは、「伝統のポタージュスープ」。想像以上に重くとろりとして、すぐにからだが温まった。ふた皿目は、「伝統のカニクリームコロッケ」。上品に、コロンとしたコロッケがお皿の中央に鎮座ましまし、トマトソースが添えられている。コロッケにナイフを落とすと、カニの文字の大きさを20倍にしたいくらいたくさんカニが詰まっていて驚いた。さっぱりとした味わいだった。食べ終わると次にテンポよくハンバーグが運ばれてきた。ハンバーグを食べるのは何年ぶり? 口に運ぶとホロリとハンバーグの塊が解け、デミグラスソースと共にふんわりとした味わいが広がった。ハンバーグとは、なんと物腰のやわらかな、やさしい人格をもっているのだろうかと目を見開いた。さらにお皿はこの店の自慢「特製ブラックカレーライス」(ハーフサイズ)と続いた。文字通り真っ黒で、つえを持つような大人の男性に似つかわしい、とても立派なカレーライスだった。デザートは「昔ながらのカスタードプリン」。甘さ抑えめでおいしかった。レモングラスの入ったピンク色のローズティーを飲んだ。

     店内を見回しても、誰ひとりとして、スマホで料理の写真を撮る客はいない。きちんとした秩序が保たれながらも、全員がリラックスしてお昼時を楽しんでいる。大人って、なんていいんだろう。ドアを開けると外はすっかり冬景色で、冷たい風が頬を撫(な)でた。「ああ、冬生まれでよかった」と思った。(文筆家)

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