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受験と私

プロレスラーの棚橋弘至さん「全部自分のためになるから信じてやってみな」

受験生を励ます棚橋弘至さん=東京都渋谷区で2017年11月16日、米田堅持撮影

 新日本プロレスの大黒柱として、プロレスブームを支える棚橋弘至さん。「大卒レスラー」としても知られる棚橋さんですが、大学受験では猛烈な努力を重ねたといいます。一体どのような青春を過ごしたのでしょう。【聞き手・浜名晋一】

1日最低12時間勉強した

 高校時代、プロ野球選手になりたくて、野球部の活動は一生懸命にやっていましたが、夏に甲子園の予選が終わると、中ぶらりんになりました。野球選手になれないなら、それを伝えるスポーツ新聞の記者になろうと思って、そのためには大学に行こうと、受験勉強を始めました。

 実質勉強していたのは半年くらいです。偏差値は50くらいでした。自分の学力がどれくらいかが把握しきれなかったので、手当たり次第に勉強して、塾に行って、地元の行けそうな大学から偏差値の高い大学まで10校近く受けました。全部受かりましたね。

 とにかく戦う武器をそろえないといけないと思ったので、書店を回って、よさそうな問題集をチェックして、全部買ってきて、分からないところや間違えたところを補習しました。一番効率のいい方法を選びましたね。分かる問題や、できたところは2回やらない。できなかったところだけをやって、穴を埋めていきました。

 僕は私立に絞っていたので、英・国・社の文系3科目しか勉強しませんでした。英語は自分で吹き込んだ英会話をイヤホンで聞いていました。僕みたいに部活ばかりやってきた生徒は体力勝負ができるんですよ。1日最低でも12時間勉強して、寝ている時間以外は勉強していました。午前3時、4時まで勉強して朝の7時には起きて学校に行きました。

 何となく大学に行きたいなというのだと、勉強にも身が入らないと思います。次の模試で何点取るとか、あいつには勝ちたいとかでもいいのですが、新聞記者になるという目標設定がいち早くできたので、勉強に身が入りました。

 息抜きにはプロレスのビデオをずっと見ていました。小橋建太さんとか武藤敬司さんが僕のアイドルでした。「小橋が頑張っているから、おれも頑張ろう」と、エネルギーをもらう感じですね。息抜きする時にはモチベーションを上げる何かに触れた方がいいですね。ただ何も考えずにボーッとするんじゃなくて。30分でも1時間でも、うまく切り替えができる息抜きを見付けたらいいかなと。ダラダラと過ごしてしまうと、勉強にスイッチするのが難しいので。切り替えが上手になるのも受験対策の一つかなと思います。

 運動にもウオーミングアップがあって、試合があって、クールダウンがあるように、受験勉強にもまずウオーミングアップが必要です。僕の場合は英単語や漢字をひたすら書き続けました。それからその日にやらないといけない問題や、勉強の量をこなして、最後にクールダウンします。自分の中で受験勉強のルーティンを固めてしまうと、意識しなくても集中した状態になれます。

チャンピオンベルトを肩にかける棚橋弘至さん=東京都渋谷区で2017年11月16日、米田堅持撮影

おれ、プロレスラーになれるじゃん

 大学に入って学生プロレスのサークルに入りました。入学式の後、キャンパス内はサークル勧誘の人であふれましたが、コスチュームの人がウロウロしていたりとか、入場曲がかかっていたりとかしてプロレスサークルのブースがすごく目立っていました。

 高校時代にプロレスを語る仲間は2人くらいしかいなかったので、興味があって行ったら、みんなプロレス大好きで、しかも自分より詳しくて、「何だこの楽園は」と思いましたね。主な活動はみんなでプロレスを見に行くことでしたが、そこで学生プロレスもやりました。

 もともと、ウエートトレーニングは高校の野球部の頃からやっていたので、本格的に体を鍛え始めたら、65キロだった体重が1年で80キロになりました。当時、ジュニアヘビー級の人気があって、85キロ、90キロの選手もいたので、「もう少し体重を増やせば、おれプロレスラーになれるじゃん」と。肉体的な変化が夢に現実味を与えてくれました。

 小さい頃から自分に自信が持てなかったので、強くなりたかったんですよね。プロレスが好きになって調べたら、プロレスラーは年間130試合くらいやってもケロッとしている。「この人たちはすごいな。おれもプロレスラーになったら、自分に自信が持てるんじゃないか」と、プロ野球選手になりたくてなれずに、新聞記者になりたくて大学に行ったんですが、今度はプロレスラーということで、夢がどんどん変化していきました。

「新日本プロレス株式会社内定」

 大学2年生の時に1回、3年生の時に2回、新日本プロレスの入門テストを受けまして、3回目で合格しました。当時はアントニオ猪木さんが引退していて、藤波辰爾さん、長州力さん、闘魂三銃士が活躍していました。

 プロレスラーになるには一日でも早く入った方がいいと、新日本に合格した時点で大学をやめようと思っていました。そうしたら長州さんに「卒業してから来い」と言われました。練習がきつくて逃げ出したり、けがをしてやめざるを得なかったりした人をいっぱい見ているので、「何が起こるか分からないから、とりあえず大学だけは出ておけ」ということだったと思います。長州さんがそう言ってくれたから、大学を卒業できたし、「大学行って勉強してこい」と言った両親にも納得してもらえました。

 新日本プロレスには1998年合格、99年入門なので、プロレス浪人を1年していたことになります。98年に入門していたら、柴田勝頼選手と同期入門になります。合格の時期は一緒だったのですが、僕の方が1年後輩になるんです。合格が決まった後、大学に戻って就職部に「新日本プロレス株式会社内定」と、報告に行きました。

 (入門後の)練習は厳しかったです。でも誰よりも体を鍛えて、体力さえあれば、文句は言われない世界なんで、しっかり体を作って練習に付いていってましたね。当時は長州さん、佐々木健介さん、ブラック・キャットさんがコーチでした。デビュー戦は99年10月10日、後楽園ホールで相手は真壁伸也(刀義)さんでしたが、結果は6分くらいで、逆エビ固めで負けました。両親も大学の仲間も友達も見に来てくれていて、「やっとプロレスラーになれました」という感じでしたね。

受験生時代の猛勉強を振り返る棚橋弘至さん=東京都渋谷区で2017年11月16日、米田堅持撮影

勉強に無駄はない

 受験勉強がまさかプロレスラーにつながるとは、当時は少しも考えていなかったですね。受験勉強で頑張ったことが今の職業に就いても役立っているし、野球部の時の筋トレがプロレスに役立っているし、プロレスで学んだことがテレビや映画の仕事で役立っています。「なんで勉強しないといけないんだよ」と思っていても、「無駄なことはないな」と思いましたね。

 夢に向かって頑張ってきたことは、自分の財産であり、人としての厚みになっていくので。そう考えると、受験生には早い段階で「全部自分のためになるから。信じてやってみな」と気づかせてあげたいと思います。勉強に無駄はありませんから。

 僕は1試合の中に、なぜ戦うのか、なぜ勝ったのか、なぜ負けたのか、という起承転結を入れたい。プロレスは戦う姿を見せながらも、負けたくないとか、生き様を見せる、人間を見せる競技と思っています。

 技がすごいとかだけじゃない部分にアプローチするためには、ダメージがあっても立ち上がって逆転する、やはり押し切られて負けるというところを見せる。ただ大きい人間が殴り合っているばかりじゃないというところがプロレスの面白いところです。プロレスならではの面白さがそこにあると思います。

 1月4日の東京ドームではジェイ・ホワイト選手と対戦します。ドーム大会は新日本プロレスの年間最大のビッグマッチでプロレスファン以外の話題にもなる大きな大会です。僕はプロレスを知らない人をどんどん巻き込んでいきたいという考えがあるので、注目度が高いドーム大会の重要性は十分承知しています。

 メインイベントにはオカダ・カズチカ選手や内藤哲也選手といった若い世代が出ますけど、2018年は僕の年にします。ドーム大会はその第一歩です。エースの戦いぶりを見せます。「新日本はやはり棚橋だな」となるよう意識しています。


 たはなし・ひろし 1976年、岐阜県大垣市生まれ。99年に立命館大学法学部を卒業し、新日本プロレスに入門。IWGPヘビー級王座などに輝き、現在はIWGPインターコンチネンタル王者。得意技はハイフライフロー。ニックネームは「100年に一人の逸材」。

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