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論始め2018 国民国家の揺らぎ 初めから同質の国はない

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 2018年が始まった。

 北朝鮮の核・ミサイル危機は越年し、トランプ米政権の振りかざす大国エゴも収まりそうにない。国家が人間の集合体以上の特別な意思を持って摩擦を生み続けている。

 日本にとって今年は1868年の明治維新から150年にあたる。その歩みにも、日本の国家意思と国際社会との衝突が刻まれている。

 あるべき国家像とは。自らを顧みて問いかけが必要な節目である。

 明治を特徴づけるのは、身分制を廃して国民国家を目指したことだ。ただ、人びとが自動的に「国民」になったわけではない。明治政府は国民の「まとまり」を必要とした。

機軸をめぐる試行錯誤

 井上ひさしがテレビドラマ用に書いた戯曲「國語元年」は、国民誕生の物語でもある。舞台は明治7年ごろの東京。文部省に勤める長州出身の主人公はこんなセリフを吐く。

 「この日(ひ)の本(もと)の国に、全国統一話し言葉がノーては、軍隊が、ヘーカラ(それから)御国がひとつにまとまらんチューわけでアリマスヨ」

 明治憲法を起草した伊藤博文は、「国家の機軸」を天皇に求めた。欧州のキリスト教に相応するのは「皇室のみ」と考えたからだ。こうして憲法の施行直前に発せられた教育勅語は天皇を精神的支配者にした。

 三谷太一郎・東京大名誉教授は「一般国民に圧倒的な影響力があったのは憲法ではなく教育勅語だ」と指摘する。昭和期の軍部はそこにつけ込み、日本を破滅に導いた。

 国民国家は、言葉や習俗を共有する人びとで国家を形作る考え方だ。ファシズムを招かないよう、戦後の日本やドイツは民主主義の国民国家として再スタートを切った。

 民主主義は、一定の区域内の住人が「自分たちのことは自分たちで決める」ことを目的とする。その意味で民主的な国民国家は、今でも有効な統治モデルだろう。

 ところが、このところ私たちが世界各地で目にするのは、国民国家の揺らぎやほころびである。

 筆頭は米国だ。トランプ大統領が打ち出す移民制限や白人重視策は、建国以来の理念を根底から揺さぶっている。「米国ファースト」に名を借りた多国間合意の軽視も、国論を分裂させたまま進められている。

 現代の国家は、国家主権、民主主義、グローバル化のうち、どれか一つを犠牲にせざるを得ないと言われる。相互に矛盾が生じるためだ。国際政治のトリレンマという。

 だが、グローバル化に背を向けて国家主権に固執するトランプ政権下の米国は、自国の民主主義をも傷つけているように見える。

 欧州に目を向けると、スペイン・カタルーニャの独立宣言が国家論に一石を投じた。英国はスコットランドの、ベルギーはフランデレンの独立問題をそれぞれ抱える。

 そこから浮き出るのは、近代化の過程で国民国家の枠内に押し込まれていた民族や地域の違和感だ。

 日本も例外ではない。沖縄は明治初期の琉球処分で日本に統合された歴史を持つ。今も重い基地負担に苦しむ沖縄を追い立てるような風潮は、本土との一体感をむしばむ。

民主主義の統合機能を

 世界の民族数は2000から3000に及ぶという。国家の数は200弱だから、国民=単一民族ということはあり得ない。1民族1国家を目指すのも現実的ではなかろう。

 経済のグローバル化に伴う所得格差の拡大や、欧州での移民の流入などが、国民国家の枠組みにマイナスの影響を与えているのは確かだ。

 しかし、ここで私たちが再認識すべきなのは、民主主義の持つ統合機能ではないだろうか。

 人間の考え方は一様ではない。階層や生い立ち、地域、年代、性差によって意見は異なる。そして違いがあるからこそ、民主主義が必要とされる。互いに異論を認め合い、最終的には全体の結論を受け入れていくプロセスに値打ちがある。

 トランプ流で民主主義の参加者に過剰な同質性を求めていけば、国の土台は揺らぐ一方だろう。

 今年は平成の幕切れに向けたカウントダウンも本格化する。「国民統合の象徴」であり続ける道を天皇陛下が熟慮された結果として、来年4月末の退位が決まった。

 初めから同質の国家はない。だから政府も国民も努力が要る。違いがあっても共同体のメンバーとして手をつなぐことの大切さを、昨今の国際情勢が教えている。

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