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第94回センバツ高校野球

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燃えろ聖陵

初めての春/2 理論家の田内初代監督 71年創部2年目、秋の県大会4強 /愛媛

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 <第90回選抜高校野球>

 松山聖陵ナインが練習に励むグラウンドの横の道に大きな岩がある。岩には「勘左池記念碑」の文字。実は、聖陵のグラウンドがある場所にはかつて農業用のため池があった。

 野球部が創部されたのは1970年。学校の「創立10周年」を記念して創部された。県内では46校目の硬式野球部だった。創部後しばらくして、ため池を埋め立てたグラウンドが完成する。

 初代監督は松山北、南宇和などを率いた田内逸明さん(故人)。選手時代には松山北で当時の塁打記録を達成するなど活躍した。「理論家」として知られた田内監督。自らもバッターボックスに入り、「インパクトの瞬間に……」などと、打撃理論を説明しながら選手たちを指導した。

 「軟式野球部しかなかった聖陵に硬式野球部ができて、すごい監督が来ると聞いた」。創部当時をそう振り返るのは、初代主将を務めた木下喜代和さん(65)。「野球にものすごく詳しい人だった。『素晴らしい監督』の一言」と絶賛する。

 松山銘菓・タルトの老舗「六時屋」の村瀬聡一郎社長(61)も、田内監督に野球を学んだ一人だ。「野球が全ての人だった」といい、「ベースを狙って10回打ったら10回とも当てられるくらいの打撃理論を持っていた。『グラウンドで死ねたら本望やろうが』と鬼の形相で言われたこともあった」

 創部当時、新聞記者への取材に「部員25人のうち硬式野球は未経験者ばかり。夏までにチームらしいものに持っていきたい」と意気込みを語っていた田内監督。初めての夏は1回戦で松山東に2-9で敗れたが、創部2年目の71年には秋の県大会で4強入り。翌72年の秋の県大会では、準決勝で翌年の夏の甲子園で4強入りする今治西に0-1で惜敗したが、強豪校をぎりぎりまで追い詰めた。

 そんな田内監督に指導を受け、聖陵野球部は進み出した。【中川祐一】

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