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第94回センバツ高校野球

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歴史と革新

センバツ 膳所 第1部・新チームの軌跡/上 「節目の代、何かある」 早くから公式戦経験、自信に /滋賀

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琵琶湖岸の砂浜で腰を落として走る膳所の選手たち=大津市で、森野俊撮影 拡大
琵琶湖岸の砂浜で腰を落として走る膳所の選手たち=大津市で、森野俊撮影

 <第90回選抜高校野球>

 2016年4月、膳所に入学したての今の2年生が野球部の入部希望者説明会に参加するため、空き教室に集まっていた。部の紹介や仮入部について説明していた上品充朗監督(48)が思いがけない言葉を口にした。「君ら、甲子園行けるよ」。あぜんとする選手たちに上品監督は続けた。「君たちが一番上の学年になる時に学校は120周年。甲子園はセンバツが90回、夏が100回。根拠はないけれど、節目の代は何かが起こる」。だが、当時、そのような未来が待っていると確信する選手は一人もいなかった。

 上級生が少なかったこともあり、石川唯斗主将(2年)ら数人は1年の夏から試合に出場した。刺激を受けて他の選手も着実に力を付けていく。16年秋の県大会後のミーティングで、上品監督は「来年の春夏は全員1年生でレギュラーを取ろう。近畿大会に出よう」と言った。上級生に発破をかけるためだが、期待できる1年生に先を見据えさせる意図もあった。

 2年生となった2017年夏の滋賀大会は9人が背番号を付けてチームを引っ張った。3回戦で水口に敗れ、16強で終わったが、早い段階から公式戦経験を積んできた2年生たちは「秋は必ず近畿大会に出る」と口にするようになっていた。

 個々の選手が自信を付け、士気も上がった一方で、滋賀大会とその前の練習試合などで疲労を重ねた投手陣の要、手塚皓己投手(2年)が腰、今井竜大選手(2年)が肩を痛める弊害もあった。新チームは万全とは言えない状態で始動したが、これをきっかけに他の選手も成長することとなる。

    ◇

 1898年の学校創立と共に野球部が誕生した膳所は今年で120周年を迎えた。1914年のセンバツで県内から初めて甲子園出場を果たすなど有数の長い歴史を持つ一方、指導者陣も選手も常に新たな取り組みに挑戦してきた。2年近く前の監督の一言から始まり、選手たちがセンバツ出場をつかむまでの軌跡をたどる。【森野俊】

開校は1898年

 1808年創立の膳所藩校、遵義堂の跡地に1898年、滋賀県第二尋常中学校として開校した。普通科と理数科があり、2006年度から文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている。

 部活動は「班活動」と呼ばれ、野球班には2年生17人、1年生11人が所属。1年生のうち2人は「データ班」として、試合などから選手や対戦相手の情報を収集・分析してサポートしている。

 甲子園出場はこれまでセンバツが3回、夏が2回で、今回は初戦敗退した1978年の夏以来となる。

 大津市膳所2の11の1(077・523・2304)。

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