特集

第94回センバツ高校野球

第94回選抜高校野球大会の特集サイトです。1月28日の選考委員会をライブ配信します。

特集一覧

真剣味

三重高野球の源流 1969春/下 栄光と挫折と再起 「重たかった」優勝旗 /三重

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
満員の観衆の中、優勝旗を手に行進する中田和男主将(前から2人目)ら三重高の選手たち=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で1969年4月6日 拡大
満員の観衆の中、優勝旗を手に行進する中田和男主将(前から2人目)ら三重高の選手たち=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で1969年4月6日

 <第90回記念選抜高校野球 センバツ高校野球>

 改札を抜けると、視界を埋め尽くすほどの市民が待っていた。センバツ制覇から一夜明けた1969年4月7日午後、紫紺の優勝旗を抱えた三重高の選手たちが地元の近鉄松阪駅に降り立った。「こんなに大勢の人が自分たちを応援してくれていたなんて驚きだった」。捕手で主将だった中田和男さん(66)は言う。

 デパートに特設されたカラーテレビの前でも、快進撃を息をのんで見守っていた市民たちは、地元のヒーローたちの凱旋(がいせん)に歓喜した。オープンカー4台に分乗し、松阪市街地をパレードする選手を沿道の子どもたちが、まぶしそうに眺めていた。

 だが栄光の後には、えてして試練が待っている。高度経済成長期の終焉(しゅうえん)と時を同じくするように三重高は勢いをなくしていった。「優勝した自分だから、後輩に教えられることがある」。75年春、中京大を経て社会科教諭となり、監督として勇んで母校に戻った中田さんの気合は空回りした。76年夏を最後に14年間近くも甲子園から遠ざかった。

 選手の声が耳に残る。「なんでこんなに練習しなきゃいけないんだ」。猛練習を強制し、上達しない選手を怒鳴りつけた結果、部をやめていく選手が続いた。

 悩みを深めていたある時、校内の自転車部の監督が選手の練習を遠めに眺める姿に気づいた。冷静になれば、他の部活からも怒鳴り声は聞こえない。自転車部の監督に言われた。「選手の向上心をくすぐれば、怒鳴らなくても練習しますよ」。問答無用で指導者に従う時代は過ぎつつあった。甲子園切符を求めて熱くなるあまり、若者の「変質」を見落としていた。

 選手時代の栄光を捨て、新米監督として出直した。自主性を重んじ、練習中は、じっと見守った。足りない部分を補えるように練習後、要点だけを整理して伝えた。

 チームの空気が変わり始めた。自らを遠ざけていた選手たちが、考え、悩み、行き詰まった時、ヒントを求めてやってくるようになった。

 再び春が訪れた。90年のセンバツで甲子園に立った。粘り強さを身上にベスト8に入った。3年連続出場の92年春にも8強入りした。一時離れた時期を挟み、2006年まで監督を務め、春夏計7度、甲子園へ導いた。

 栄光と挫折と再起--。源流となった49年前の優勝を、中田さんは「球場を揺らしたあの日の歓声が今も耳に残っている。初めて手にした優勝旗は想像以上に重たかった」と振り返る。今春で90回を数えるセンバツ史上、県勢唯一の全国制覇を示す紫紺の優勝旗のレプリカは、生徒を迎える校舎玄関にそっと飾られている。【森田采花】

〔三重版〕

関連記事

あわせて読みたい