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第94回センバツ高校野球

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18センバツ国栃 後輩へエール/上 「一発勝負」心構え学んだ 元ロッテ投手・渡辺俊介さん /栃木

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渡辺俊介さん 拡大
渡辺俊介さん
日本代表としてWBC決勝で登板した渡辺俊介さん。地面すれすれから球を繰り出すサブマリン投法で活躍した=米カリフォルニア州サンディエゴのペトコパークで2006年3月20日、山本晋撮影 拡大
日本代表としてWBC決勝で登板した渡辺俊介さん。地面すれすれから球を繰り出すサブマリン投法で活躍した=米カリフォルニア州サンディエゴのペトコパークで2006年3月20日、山本晋撮影

 <第90回記念選抜高校野球>

山の中の学校 走って体作り

 18年ぶり4回目のセンバツ出場を決めた国学院栃木には、プロ野球で活躍したOBもいる。地面すれすれから浮き上がる独特な軌道の球を操り、「サブマリン(潜水艦)」投法と呼ばれた元ロッテ・渡辺俊介さん(41)=新日鉄住金かずさマジックコーチ兼投手=も、その一人だ。控え投手だった高校時代に原点となる下手投げのフォームを磨き、プロでは日本一や世界一にも輝いた渡辺さんに、高校野球の思い出などを聞いた。【聞き手・李舜】

 --当時の国学院栃木は、どのようなチームでしたか。

 元西武の小関(竜也さん、現巨人コーチ)がエースで4番。チームの中心でバッターとしてすごかった。他にもドラフト候補になるような選手がたくさんいました。中学時代に軟式野球で全国優勝した投手とか、中学では「エースで4番」の選手の集まり。私は中学で2、3番手の投手で、周りの選手を憧れの目で見ていました。ベンチ入りできただけでも、「出世したな」という気分でした。

 --高校時代はどのような投手でしたか。

 高校に入学した時点では、もう下手投げです。父が投手コーチとして指導に来ていたので、学校でも家でも父と練習していました。下手投げのお手本となる投手が身近にいなかったので、父流、自己流で練習しました。「本格派の下手投げ」を目指し、浮き上がる軌道の直球を追い求めていました。

 --練習で意識したことを教えてください。

 体作りとフォーム作りを続けました。山の中にある学校なので、クロスカントリーとか走る場所には困りませんでした。高校時代はとにかく制球が悪く、調子の波が激しくて「信頼される」投手ではなかったと思います。自分のボールに聞きながら、きれいな投げ方を意識せずにボールと会話をしながら、作ってきたフォームでした。

 --高校野球での経験が生きたことはありますか。

 高校時代に甲子園を目指していると、一発勝負のトーナメントに勝つための心構えや準備を学ぶはずです。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が強いのは、日本の野球選手が高校時代にトーナメントの勝ち方をすり込まれているからだと思います。これが、日本の野球の強さの根底ではないでしょうか。


 ■人物略歴

わたなべ・しゅんすけ

 栃木市(旧都賀町)出身。中学2年から父の指導で下手投げを始めた。国学院栃木高、国学院大を経て、社会人野球・新日鉄君津(現新日鉄住金かずさマジック)で活躍。2000年秋のドラフト4位でプロ野球・ロッテに入団した。下手から浮き上がる直球やシンカーなどを駆使し、05年には15勝(4敗)を挙げ、日本一に貢献。13年間でプロ通算87勝(82敗)をマークした。06、09年はWBC連覇を経験。14、15年は米独立リーグやベネズエラのリーグでプレーした。15年12月から新日鉄住金かずさマジックでコーチ兼投手。

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