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第103回全国高校野球選手権

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三重高野球の源流 2014夏/上 総勢100人の全員野球 グラウンド外も重視 /三重

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2014年夏の甲子園で準優勝し、閉会式で整列する三重高の選手たち=阪神甲子園球場で2014年8月25日、喜屋武真之介撮影 拡大
2014年夏の甲子園で準優勝し、閉会式で整列する三重高の選手たち=阪神甲子園球場で2014年8月25日、喜屋武真之介撮影
昨年8月に監督を降りた後も毎日グラウンドを訪れ、投手を指導する中村好治総監督(右)=松阪市久保町の三重高で 拡大
昨年8月に監督を降りた後も毎日グラウンドを訪れ、投手を指導する中村好治総監督(右)=松阪市久保町の三重高で

 県勢初のセンバツ制覇から45年、三重高が再び甲子園の決勝舞台に戻ってきたのは2014年夏だった。創部9年目で遂げた1969年春の優勝以降、苦節の時も経て、準優勝に輝いた。三重高野球の源流をたどる第2弾は、4年前の夏に時計の針を戻す。【森田采花】

 準優勝翌日の8月26日付の毎日新聞に「歴史に刻んだ熱戦」の見出しが躍った。延長サヨナラ勝ちした広陵高(広島)との1回戦から、3-4で惜敗した決勝の大阪桐蔭高戦まで、登録選手18人中17人を起用。スローガン「総勢100人の全員野球」を貫く戦いだった。

 部員約100人の大所帯を団結させたのは、独特の選手選考だった。野球の才能や技量だけで評価するのではなく、「一番練習熱心だった」鈴木颯馬選手や、「生徒会長も務め一番文武両道を貫いた」三宅穂昴(ほだか)選手をベンチ入りさせた。その三宅選手だけ出場機会はなかったが、伝令役としてチームを支えた。

 個性を伸ばすチーム作りをしたのは、4月に監督に就任したばかりの中村好治総監督(64)だった。前年の13年6月にコーチに就いた時「打力のあるチームだったが、あいさつもできず、失敗をしても『どんまい』と軽く受け流すだけだった」。大敗しても「こんなチーム勝てないですよ」と選手自身がなげやりにこぼしたのを覚えている。

 立て直しに動いた。あいさつのできる選手をしっかりと評価し、グラウンド外でも規律を守れる選手かどうか教室に授業態度を見て回った。「どんなことでも一番の選手はメンバーに入れた」。チームを鼓舞できる「声」、相手チームの戦略を分析する「目」が、チームの重要な戦力として備わっていった。

 中村総監督は現役時代、浪商(現大体大浪商)高で甲子園を逃し、専大を経て進んだ社会人野球の強豪、鐘淵化学(現カネカ)は2年で廃部となった。神戸製鋼へ移り、39歳まで現役を続けた。監督としては社会人の田村コピー(休部中)、日章学園高(宮崎)を率い、三重中京大(閉校)で楽天の則本昂大投手を育てた。

 平たんでなかった野球人生を振り返ると「選手にとって甲子園は通過点に過ぎない」と痛感する。だからこそ「輝く個性」の育成に指導の軸足を置く。

 69年春、浪商高への入学が決まっていた中村総監督は甲子園のスタンドにいた。センバツを制した三重高が浪商高を破った準決勝を観戦した。「よく打ち、よく守るチームだと思った。知識のない僕でも、これが強いチームだとわかった」。脳裏に強烈な印象を焼きつけたライバルチームを何の因果か、45年後に再生させた。

〔三重版〕

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