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第103回全国高校野球選手権

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アンビシャス日大山形!

センバツの記憶 1975年 47回大会 伝説の右腕が躍動 初戦完勝、2回戦で散る /山形

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【初芝-日大山形】一回、日大山形1死二塁、山口の右前タイムリーで二塁から小屋生還=当時の毎日新聞より 拡大
【初芝-日大山形】一回、日大山形1死二塁、山口の右前タイムリーで二塁から小屋生還=当時の毎日新聞より

 <第90回記念選抜高校野球>

 県勢初のセンバツ出場で、初戦を突破--。1973年春、野球部は100人を数える新しいメンバーを受け入れた。しかし、若い渋谷良弥監督=当時26歳=は浮かれなかった。夏までに残ったのはわずかに19人。その中に数十年に一人の逸材と呼ばれた伝説の右腕がいた。

 金子隆投手。第47回選抜大会初戦の75年3月28日、初芝(大阪)相手のマウンドに立った。プレーボールは午後5時過ぎ。今にも雪が降りそうな寒さだった。しかし、雪国では勝手知ったるコンディション。終わってみれば5-0の完勝だった。金子投手は6安打を浴びたが、8奪三振。現在60歳となった金子さんは「東北大会に比べ楽に勝てた試合だった」と振り返る。

 当時はまさに「金子のチーム」だった。快投は2年生時、74年の秋の県大会に始まる。東北大会では秋田商(5-3)盛岡一(6-1)仙台育英(6-2)と連破した。伝説となったのは同年11月の第5回明治神宮大会。準決勝で崇徳(広島)を相手にノーヒット・ノーラン(12-0)を演じた。

 次の福井商戦は惜敗(1-2)したが、県勢初の全国大会準優勝を飾る。ノーヒット・ノーラン2回、68イニング無失点……。燦然(さんぜん)たる記録と共に今も記憶に残り続ける。

 しかし、甲子園には魔物が住む。2回戦の相手は豊見城(沖縄)。米国の占領統治からの復帰後、まだ3年しかたっていない島人(シマンチュ)たちの期待を背負っていた。

 一回表に自身の失策が絡み、先制点を奪われる。三回にも3失点。攻撃では六回に打者のスクイズサインの見落としで、三塁走者だった金子投手は三本間で憤死。「かーっ」。ベンチには渋谷監督の嘆声が響いたという。2-4。怪童の甲子園は終わった。【的野暁】


1975年の国内外の主な出来事

 2月 英国初の女性首相にマーガレット・サッチャー氏

 4月 第47回アカデミー賞・作品賞は「ゴッドファーザー2」

    第47回選抜大会。高知が高知県勢初優勝

 5月 登山家・田部井淳子氏が女性初のエベレスト登頂

 8月 第57回全国選手権大会。習志野(千葉)が2回目の優勝

 9月 昭和天皇が米国を公式訪問

10月 プロ野球・広島カープが創設26年目で初優勝

11月 国鉄奥羽線の全線電化

12月 総合商社・安宅産業の経営危機が表面化

    ノーベル平和賞にソ連の理論物理学者、サハロフ氏

    第17回日本レコード大賞に布施明「シクラメンのかほり」

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