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第103回全国高校野球選手権

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センバツ90/5止 社会貢献、思いを次に 神港学園監督・北原光広さん

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阪神大震災23年の日を翌日に控え、追悼行事の準備を手伝う神港学園の北原光広監督(右から2人目)、長男の直也部長(右端)=神戸市中央区で2018年1月16日、猪飼健史撮影 拡大
阪神大震災23年の日を翌日に控え、追悼行事の準備を手伝う神港学園の北原光広監督(右から2人目)、長男の直也部長(右端)=神戸市中央区で2018年1月16日、猪飼健史撮影

 <第90回選抜高校野球>

北原光広さん(64)

 球児の社会貢献活動には、さまざまな見方がある。春夏8回の甲子園出場を含め、神港学園を率いてきた36年間で、地元が被災した阪神大震災(1995年)の経験が忘れられない。前年秋の近畿大会で準優勝し、センバツ出場が有力視される中で、震災のボランティア活動を始めた時のことだった。

 「被災地では温かいご飯も満足に食べられない。野球をできる状況じゃなかった。被災者のお手伝いをしたい、と強く思った」。救援物資の運搬や避難所の清掃。しかし、数日後には被災者から「点数稼ぎはやめえ」と言われた。センバツ出場のためだろう、と。約1カ月後に出場が決まり、報道陣の取材に「ほっとした」と答えた時も、周囲から「何がほっとしたの?」と言われた。たった一つの言動が被災者の心を傷つけてしまう。センバツにも前向きになれなかった。

 背中を押してくれたのは、選手たちだった。出場決定後、1カ月半ぶりの練習で選手たちはすさまじい集中力を見せ、「野球ができてうれしい」と言った。センバツ出場は、選手にとって一生に一度の機会と思い知った。仙台育英(宮城県)など強豪を破って8強入りを果たした。大会後、世間の目は気になったが、元教え子の父親が震災直後に過労死したことにも心を動かされ、ボランティア活動を続けることにした。ロシア船ナホトカ号の重油流出事故(97年)や福井豪雨(2004年)の被災地にも足を運んだ。阪神大震災の追悼行事の準備は毎年、手伝っている。そしてこの春、ボランティアの伝統と共に、長男で部長の直也さん(38)に監督を引き継ぐ。

 「厳しい言葉を浴びせられたが、それでも、ボランティアを通じて、野球ができるありがたみを感じてほしい」。震災後、それまでの「何としても勝ちたい」から「大きなけがが無いように試合を終えてほしい」と思いが変わった。ボランティアで地域の人と交流して感謝される。亡くなった方の魂のことを思う。すると、優しい気持ちになれる。野球以外で汗を流した時に、感じることもある。高校野球は甲子園が全てじゃない。人間として成長してほしい。その後の人生の方が長いのだから。=おわり(この連載は青木純、畠山哲郎、待鳥航志が担当しました)

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