特集

第94回センバツ高校野球

第94回選抜高校野球大会の特集サイトです。阪神甲子園球場での熱戦全31試合をLIVE配信します。

特集一覧

アンビシャス日大山形!

センバツの記憶 1982年 54回大会 室内グラウンド奏功 7年ぶり出場、評価高める /山形

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
【日大山形-星稜】四回表、日大山形2死一、二塁、藤木の右前打で二塁から井上が生還し、先取点。捕手は安江=当時の毎日新聞より 拡大
【日大山形-星稜】四回表、日大山形2死一、二塁、藤木の右前打で二塁から井上が生還し、先取点。捕手は安江=当時の毎日新聞より

 <第90回記念選抜高校野球>

 甲子園では「攻めダルマ」の異名を持った名将、蔦文也監督(2001年没)が率いる池田(徳島)が黄金時代を迎えつつあった。選抜は1974年大会に出場し、たった11人の「さわやかイレブン」で準優勝。飛距離の出る金属バットの特性を生かすために筋力トレーニングを活用し、高校球界に新たな風を吹き込んでいく。

 山形の球界も、新たなステップを迎えていた。81年、県野球場(現在の荘銀・日新スタジアム)を増設。冬期間に運用可能な室内グラウンドを手に入れた。あっという間にぬかるみとなる水田跡地に悩まされてきた日大山形には頼りになる練習場。渋谷良弥監督は20メートル以内という短距離からのノックを浴びせ、基礎動作をたたき込んだ。

 その翌年の82年、第54回大会。日大山形は7年ぶりのセンバツ出場を決める。その直前の夏の東北大会決勝では12-2とリードしていたが五回裏で雨天ノーゲームとなり、翌日の再試合で逆転サヨナラ負け(2-3)という不運ぶり。しかし、矢萩幸一選手を主将に据えた新チームは勝負をあきらめない執念で、3本目の選抜旗を手中に収めた。

 秋の東北大会決勝の東北(宮城)戦は七回までに9-2の7点差。優勝どころか、選抜出場自体が危うかった。八回の攻撃前。矢萩主将の叱咤(しった)がこだましたという。「このままでは行けないぞ!」。5点を追加。敗れはしたが、文句のない成績だった。

 抽選会で、初戦相手と決まった星稜(石川)には明らかに安堵(あんど)する空気が流れたという。「この雪国対決は絶対に負けられない。鼻をあかしてやろう」(矢萩主将)。下手投げの右腕・津藤英夫投手は9安打を浴びながら、粘りの4-1で勝利する。4日後の尾道商(広島)には3-5で惜敗したが、「日大山形侮れず」との評価は高まった。次の春がまさか36年後になろうとは北の名将、渋谷監督にとっても想像できなかった。【的野暁】


 ■1982年の内外の主な出来事■

 2月 ホテルニュージャパン火災。死者33人、負傷者34人

    日航機・羽田沖墜落事故。機長の操縦が原因

 4月 フォークランド紛争。英国とアルゼンチンが交戦

    第54回選抜大会。PL学園(大阪)が史上2校目の連覇

 6月 東北新幹線(大宮-盛岡間)が開通

 8月 第64回全国選手権大会。池田(徳島)が初優勝

 9月 米国女優出身のモナコ公国公妃、グレース・ケリー死去

10月 日産自動車が初代「マーチ」を発売

11月 ソ連のブレジネフ書記長死去

    中曽根康弘内閣発足

12月 スピルバーグ監督作「E.T.」公開

関連記事

あわせて読みたい