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第103回全国高校野球選手権

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センバツ・彦根東 第3部 野球部の歩み/上 甲子園、3度目で初得点 物不足、活動停止を乗り越え /滋賀

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彦根東が初めて甲子園に出場した第25回選抜高校野球大会の開会式で入場行進する彦根東の選手たち=阪神甲子園球場で1953年撮影、中村善一郎・彦根東高校野球部後援会長提供 拡大
彦根東が初めて甲子園に出場した第25回選抜高校野球大会の開会式で入場行進する彦根東の選手たち=阪神甲子園球場で1953年撮影、中村善一郎・彦根東高校野球部後援会長提供

 <第90回選抜高校野球>

 彦根東の甲子園初出場は1950年春。戦後間もなくで物不足は深刻だった。滋賀県高等学校野球連盟史「球跡」(94年発行)によると、練習着を調達できない部員がいたり、バットが折れると、くぎを打ち、テーピングを巻いて使ったりしていたという。

 甲子園では初戦で明治(現明大明治、東京)と対戦。わずか4安打で0-6の完封負けを喫した。3年後の53年春、再び甲子園に出場するが、済々黌(せいせいこう)(熊本)に1安打で完封負け。1点が遠かった。

 春夏連続出場を期待された同年夏の滋賀大会は、初戦の大津東(現膳所)戦で「事件」が起きた。2-3と1点を追う九回表、1死三塁からスクイズに失敗し、三本間に走者が挟まれた。捕手が素手でボールを握りタッチしようとして落球。同点のホームインかと思われた。

 しかし、審判団が「タイム」を告げ、協議後に「オーバーランで走者アウト」と判定される。納得できない選手たちは三本間に座り込んで抗議。プレー再開後5分以内にバッターボックスに入らないと0-9の没収試合になるというルールを適用され、球場から姿を消した上に1年間の活動停止処分になった。

 その後も、あと一歩のところで甲子園を逃す日々が続く。89年の秋季県大会では内野手だった松林基之・現部長(45)らの活躍により37年ぶりに優勝したが、近畿大会では1回戦で神戸弘陵と延長十三回の末に3-5で惜敗。翌90年夏は滋賀大会決勝で八幡商に5-6で敗れた。

 しかし、その後も県大会で好成績を継続的に収めたことや学業との両立などが評価され、09年春、21世紀枠で56年ぶりの甲子園出場を果たす。初戦で習志野(千葉)に4-5で九回サヨナラ負けを喫するが、3度目の甲子園で初得点を挙げ、歴史を塗り替えた。

 この時、部長としてチームを支えたのが村中隆之・現監督(49)だ。全国レベルのチームと対戦したことがその後のチーム作りに生き、13年夏、17年夏、そして18年春の出場へつながっていく。【小西雄介】

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