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幸せの学び

<その190> 広辞苑のふるさと=城島徹

祖父の軌跡を追う新村恭さん

 広辞苑の表紙の「新村 出編」の文字を見て、国語学者の新村出さん(1876~1967年)と承知している方はどれほどおられるだろうか。広辞苑を編集した人物が仕事に明け暮れた京都の邸宅を訪ね、ようやくこの人物のこん身の作業を実感できたように思う。

     大正時代のある歌人を調べていたとき、交友関係に新村出さんが浮上した。そのころ孫の新村恭さんが祖父の評伝「広辞苑はなぜ生まれたか-新村出の生きた軌跡」(世界思想社)を出し、祖父宅の新村出記念財団重山(ちょうざん)文庫の管理人となったことを知った。

     恭さんに問い合わせると、その歌人からの書簡が1通あることがわかり、京都へ向かった。地下鉄烏丸線鞍馬口駅から路地を数分歩くと「木戸孝允公邸遺構」「新村出博士旧宅」と刻字された石柱が現れる。「新村出記念財団」の表札が掛かかる重山文庫の玄関を入ると、「お待ちしてました」とセーター姿の恭さんが出迎えてくれた。

     出さんは1935年、国語辞典「辞苑」を出した。改訂のため東京にあった原稿は終戦の年の大空襲で失われ、保管されていた活字組み版も燃えてしまった。かろうじて残っていたのは、出さんと次男で仏文学者の猛さんが暮らす京都にある校正刷りだった。

     「広辞苑」と名前を変えた改訂版がこの親子の尽力で世に出たのは終戦から10年後の1955年だった。今回、約10年ぶりに改訂された第7版広辞苑(3216ページ)は収録項目が計約25万語にのぼるという。まさに「言葉の百科事典」である。

     1万冊を超える蔵書を抱える重山文庫は、新村家が明治維新の元勲、木戸孝允から譲り受けた邸宅を改装し、記念財団が運営している。研究者以外にはあまり縁のない仕事場だったが、恭さんは「広辞苑誕生の舞台裏」がわかる展示にして一般公開を始めた。「誰かがしなければ」。この家で生まれ、幼少時から頻繁に訪れていた恭さんは退職を機に移り住んだ。

     言葉ひとつひとつの意味、さまざまな用例を書き込んだノート、初版から最新版まで本棚を埋め尽くす歴代の広辞苑。同じ版でも細かな改訂を重ねたことを示す小さな付箋がはさまる。改訂作業がいかに繊細で壮絶なものであったかが伝わってくる。

     だが堅苦しい資料室ではない。初夏に白い花を咲かせるタイサンボクのある庭は趣がある。ちなみに重山は短歌愛好者だった出さんの号である。庭を眺められる和室には、趣味で収集した大小の松かさがあり、大好きな女優の高峰秀子さんと並んでご満悦の出さんの写真が飾られていてほほ笑ましい。京都の懐の深さも感じさせてくれる場所である。【城島徹】

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