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第94回センバツ高校野球

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センバツ 膳所 第3部・野球部の歩み/上 全国に知られた「古豪」 聖地での1勝には届かず /滋賀

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膳所の「百年史」を読みながら野球部の歴史を振り返る浅井博さん(右)とOB会理事長の浅田由紀夫さん=大津市の同校で、森野俊撮影 拡大
膳所の「百年史」を読みながら野球部の歴史を振り返る浅井博さん(右)とOB会理事長の浅田由紀夫さん=大津市の同校で、森野俊撮影

 <第90回選抜高校野球>

 「ずば抜けた選手がいない中、一人ひとりがコツコツと努力し、互いの穴を埋め合って強くなってきた。今も昔もそれがうちの野球だ」。今春のセンバツに21世紀枠で出場する膳所のOB会長、浅井博さん(72)は語る。学校創立と共に今年で120周年を迎えた野球部。春夏計5回の甲子園出場を数えるが勝ち星はない。県内ではかつて「強豪」とされながらも聖地での1勝が遠かった歴史を、OBと共に振り返る。

 手作りのユニホームに紺の脚絆(きゃはん)と人力車夫の足袋、ズック製のミット。京都大の前身、旧制第三高等学校(三高)の野球部員をコーチに迎え、1898(明治31)年に野球部は始動した。試合は狭い校庭ではできず、現在は皇子山総合運動公園(大津市御陵町)のある旧大津陸軍練兵場まで約4キロの道を、選手たちがネットやベースを担いで歩いた。

 同校創立100周年記念で作られた「百年史」や浅井さんによると、創部当初から実力は県商業学校(現八幡商)や県師範学校、県第一中学校(現彦根東)より上だった。1909年には、同年の全国大会で優勝した愛知県立第一中学校(現旭丘)を相手に北川豊彦投手らが1-0で完封勝利し、「膳所」の名を全国に知れ渡らせたという。

 大正時代になっても1913年8月に東海五県連合野球大会で準優勝するなどしたが、初出場した20年の第6回全国中等学校優勝野球大会は京津大会の決勝で京都市立第一商(現西京)に敗北。この頃から紫紺の「Z」のマークを胸に付けたユニホームで試合に臨むようになっていた。そして34年春、県勢初の甲子園出場を果たす。59年春にも甲子園に出て、初戦で高知商に延長十四回の末1-2で惜敗した。

 61年に入学した浅井さんは「甲子園を目指すなら膳所というイメージがあった」と話す。だが、グラウンドは狭く、他の部と共用で、1年生は隣接する墓地で球拾い。「勉強時間がない」との理由でやめる部員も多かったという。

 久しぶりの甲子園出場が決まり大忙しだという浅井さんらOB。週に2、3回は学校を訪れ、寄付を募る電話やバスの手配、チケット数の調整などに追われる。「私の目の黒いうちは無理かと思っていたのでうれしい悲鳴。我々ができるのは膳所側のスタンドを満員にすること。選手たちはただ、後悔のないよう戦ってほしい」【森野俊】

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